第8回(1994年)FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー
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「平成教育テレビ」の記事における「第8回(1994年)FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー」の解説
※マルチ画面には『FNSの日 1億2500万人の平成夏休みバラエティー』と書かれていた。 この年は前年までの「-一斉模擬試験」に変わる「各局対抗クイズ」を実施。FNS25局の女子アナと各都道府県出身のタレントがチームでクイズに挑戦し、「女子アナコース」「タレントコース」とご当地出身タレント・女子アナがタッグを組む「混合コース」の3パートに分け、『平成教育委員会』からの問題、FNS系列局からの問題など数十問、それに「平成G1ダービー」の予想、さらに「BIG3クイズ」「全国○×王決定戦」を加えて行い、総合得点で争う形式だった。 この年は勉強小僧に加えて勉強小娘とも言うべき女の子のCGキャラクターが登場し、両者共に着物を着ており、シンキングタイム中はBGMに合わせて踊っていた。音声は本放送のために再録され、『平成教育委員会』からの問題では前者、FNS系列局からの問題では後者が番組進行をフォローしていた。 オープニングは熱海市からの中継で番組ロゴの仕掛け花火や打ち上げ花火などの大掛かりな演出から始まり、たけしが「『第452回 1500人の平成夏休みバラエティー』、サリン北野です。」というボケの第一声から始まった。さんまが「僕、この番組3時間出番頼まれてたんですよ。で、昨日台本見たら13時間!だったんですよ」と発言。オープニングのテーマBGMはクライズラー&カンパニーのアルバム「SHOWCASE」に収録された楽曲「トリンク・トリンク」。 総合司会はたけしの単独体制だが、親交が深く、他局でも共演が多いさんまや所ジョージや楠田枝里子、ヒロミ、そして逸見に変わって『平成教育委員会』に加わった中井美穂(当時フジテレビアナウンサー)が交代でたけしとともにMC席に入るスタイルで放送された(1993年夏の企画を立て始めから冬あたりまでは、逸見のガン克服・復帰を想定して、この年もたけしと逸見を司会に「平成教育テレビ」を行う予定だったものの、それも叶わず、12月に逸見が死去したことで企画が軌道修正され、たけしをメインに、さんま・所・楠田というたけしと親交の深い3人がサブとして参加したという経緯がある)。この年からメイン司会が、たけし・逸見体制からたけし・さんま体制へ変わる(1996年まで)。 河田町・フジテレビ駐車場で23時間かけてジミー大西が巨大アートに挑戦 各局対抗クイズの長崎の問題の答えでグリーンスタジアム神戸に居た桂三枝(現・六代目桂文枝)が「その答えに異議有り!」を申した。ただし、たけしはそれをボケる形で退けて長崎の正解を認めた(ちなみにこの問題は長崎が唯一正解となった)。 深夜企画「夜のチョットスタジオ」は往年の同局の看板音楽番組「夜のヒットスタジオ」のパロディ。芳村真理(芳村ムリー)役には細川ふみえ、井上順(井上不順)役にはヒロミ、指揮者のダン池田役にはガダルカナル・タカがそれぞれ扮装。ゲストには酒井法子・近藤房之助・高中正義の3名。たけしは『北野ファンクラブ』でのキャラクター「亀有ブラザーズ」ボーカルとして、下ネタメインの替え歌を数曲披露した。なお、この時間帯に、臨時ニュース「女性宇宙飛行士・向井千秋が地球に帰還する」が挿入され、このコーナーと後続のコーナーがそれぞれ時間短縮。 「オールナイトフジリターンズ」スタッフによる「オールナイトFNSスペシャル」枠内のゲームに負けたため、同枠最後に、今田耕司がフジテレビ社屋前の駐車場で複数回逆バンジーされる。 「夜明けの一県一番レポート」では新潟から「ちとちんとん」が紹介された。この中継映像を観ていたたけしが「やりてぇな」と呟き、これが2008年の中継企画「日本全国名人大発見」への布石となる。 前年(1993年)に続いて平成GIダービーを開催。この年は「第2回平成GIダービー・北野大障害」と銘打って、様々な障害を越えて進む1000mのレースを実施。なお、前回の上位3頭にはハンデキャップが与えられた。出走取消は2名。そのうちデブノホマレは当時入院中であり、たけし曰く「尿酸値は歴代で2位(1位はお相撲さんで既に死去している)。血糖値は常人の10倍」との事。もう1人は唯一の牝馬として出走予定だったミキコビューティーで出走取消の理由は「『膝のお皿にひびが入っている』との病院からの診察結果が出て障害を越える時にその膝に着地負担等がかかる」との事柄が出た為であり大事を取っての出走取消となった。レースは第3障害の水濠障害(高さ・1.2m、幅・3m、深さ・3cm)手前で先頭にたったダイカツノブリンが最終障害の坂(高さ・2m10cm、角度30度)も楽々と越え、スタジオにいた各局女子アナの面々の驚嘆の声を浴びつつ、そのまま逃げ切って1着でゴール。奇しくもこの年の2着も、前年同様ミホノゴリボシ。ゴール前はダイカツノブリンとミホノゴリボシの一騎討ちとなりゴール板までもつれ込む大接戦となったがたけしの判断でダイカツに軍配が上がった。 ○×王は第2回全国○×王座決定戦として開催。試合は3人の決勝戦となったが最後はサガテレビが一気に優勝を決めて○×王を獲得した。 夕方は露木茂(『FNNスーパータイム』)・安藤優子(『ニュースJAPAN』)・大塚範一(『めざましテレビ』)司会の「オールキャスターニュース」。宮崎の宮崎港からは台風の最新情報・高知の早明浦ダムからは最新渇水情報を其々、放送した。 視聴者参加クイズはFNS各局がVTRで出題するものであったが、昨年までの「夜明けの全国一斉模擬試験」などと違い予習が難しかったことから、全問正解者は出なかった(20問正解が最高成績)。 この年の『全国一斉模擬試験』は、各局のアナが地元出身のタレントとタッグを組んで挑むルール。優勝したのは、前年に引き続いて秋田テレビで、これにより史上初の連覇が達成された。優勝賞品であるジミー大西の巨大壁画アート「夏休み」を獲得。前年賞品の篠原勝之作モニュメントは1年間展示された別の所で展示となった。また、小倉智昭&宮越暁子アナにも「ハワイ旅行」がペアで贈呈された。小倉は「秋田が生んだ桜田淳子さんが祈ってくれたおかげですよ」とブラックジョークをかまし、たけしに「やめましょう、振らなきゃ良かった」と呆れられた。ちなみに2位は石川テレビ、3位はテレビ宮崎。最下位は沖縄テレビ(渡嘉敷勝男&仲地恵アナペア)。そのとき、たけしは「沖縄は(この年から)4年連続最下位になるな。とかちゃんが居るから」と話したが、翌年(1995年)は異なっていた。 第1問である「十勝レース予想クイズ」の山陰中央テレビのモニターがトラブルで書けなくなりその問題自体もコンピューターのトラブルによって放送時間内で結果を出せず、この問題がなかった事として扱われた(結果は2位と番組終了後に発表された)。また、この問題予想タイムで山陰のモニターが書けなくなり後に口頭で解答する形で解決。現地の塩原恒夫アナはノーヒント状態で東京のスタジオに渡す。そして現在3位と言うヒントが後に来てノーヒントでスタジオに振った塩原アナは「もう一寸、上の方に書いて欲しかった」と正直な気持ちを言った所にスタジオは半信半疑状態になった(その後は所ジョージの約30秒程度の独演会状態になっていた)。土曜の深夜には塩原アナが2位に上がった所をことわざの「果報は寝て待て」(意味…幸運の訪れは運による物であるから焦らないで自然に時期が来るのを待てとの意味)を組み合わせながら中継、1位に上がった所ではインフォメーション担当の笠井・小島両アナに万歳しながら中継していた。 大坪アナがロケ先から問題出題中にザーメンと発言したりするなど、ハプニングの多い放送だった。 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは木佐彩子、佐野瑞樹、武田祐子、富永美樹の男性1人/女性3人の合計4人。 この年の提供CG:画面下に水槽が表示され、たけし先生が試薬のようなものをたらすと、提供社名が切り替わっていく。 この年の放送直後にたけしはバイク事故を起こして重傷を負い、リハビリなどの療養のために長期休養に入る。
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