法隆寺伝来『法華義疏』をめぐる諸説とは? わかりやすく解説

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法隆寺伝来『法華義疏』をめぐる諸説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 18:08 UTC 版)

三経義疏」の記事における「法隆寺伝来『法華義疏』をめぐる諸説」の解説

法隆寺伝来(現・御物)の『法華義疏』が7世紀前半遺品であることについては研究者の間に異論がないが、聖徳太子真筆であるか否かについては意見分かれている。 「法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳」(天平19年747年)は、『法華経疏』『維摩経疏』『勝鬘経疏』の3書について「上宮聖徳法王御製者」(聖徳太子自著)であるとする(『維摩経疏』『勝鬘経疏』の原本現存しない)。「法隆寺東資財帳」(天平宝字5年761年)は『法華義疏』について、「正本は.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}帙(ちつ)一枚に牙を着く。律師行信覓求(もとめ)て奉納せし者なり」と記載している。この記載から、当時法華義疏』には正本副本があったこと、正本には帙(カバー)と象牙製の付いていたこと、法隆寺東伽藍創立者である僧行信本書をどこかで求めて法隆寺東院に寄進したものであることがわかる。なお、上記の帙(竹ひごを絹の色糸編んだカバー)と、書名記した象牙製の現存している。 現存する法華義疏』は4巻巻子本である。かつて石田茂作本書詳細な調査行っているが、それによると各巻長さ巻一が14.24メートル、以下、巻二が14.52メートル、巻三が15.28メートル、巻四が13.30メートルである。本品特色は、日本最古肉筆遺品であるにもかかわらず、その保存状態きわめて良好であることである。この種の巻子本補強と皺を伸ばすために本紙とは別の紙で裏打ちを行うのが普通だが、『法華義疏』の各巻には、巻頭などの一部除いて裏打ちがなく、制作当初のうぶな状態を保っている。料紙薄茶褐色呈するが、巻頭から巻末まで色が変わらないことから、これは褪色したものではなく、本来の紙色であるとみられる料紙は虫食いの跡もみられず、厳重に保管されてきたことがうかがえる今一つ特色は、本品装幀きわめて簡素であることである。後世写経遺品には、巻軸銘木用いたり、軸端にさまざまな装飾こらしたものがあるが、『法華義疏』の巻軸何の装飾もないただの木製の棒である。また、各巻料紙は横の長さ一定せず料紙張り合わせ方も稚拙であることが指摘されている。『法華義疏』の現物調査した研究者は、この巻物には押界、すなわちヘラ引いた罫線があることを指摘している(墨と細筆引いた罫線墨界)と異なりヘラ引いた押界は写真には写らない)。本文中には推敲の跡が著しく、紙の表面削って書き直している箇所があり、なかには紙を削りすぎて穴が開いてしまい、裏から別紙当ててそこに書き直している箇所もある。 巻一巻頭表紙の裏には別紙継ぎ、「此是大委国上宮王私集非海彼本」と書き込まれている。この書き込みは「此れは是れ、大委国(やまとのくにの上宮王(かみつみやのおおきみ)の私の集にして、海の彼(かなた)の本にあらず」と読め日本聖徳太子自著であって海外の本ではない」との意である。 書風の点では『法華義疏』の文字には「起筆・送筆・収筆」の「三過折」がみられず、速書き適した実用的機能的な書風であることが指摘されている。字体行書主として一部草書交えるが、連綿はほとんどみられず、一字一字切り離して書いている点が特色である。こうした特色は、4世紀肉筆遺品である「李柏文書」(楼蘭出土龍谷大学)に通じるものがある。 『法華義疏』については、聖徳太子自筆とする説と、これを否定する説とが併存している。太子自筆とする説は「法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳」をはじめとする史料本書太子筆としていること、本書には推敲の跡が著しく著者自筆本であるとみられること、巻一巻頭の「此是大委国上宮王私集非海彼本」の記載などをその論拠としている。 藤枝晃は『法華義疏』の文字職業写経生のそれであること、本書同じく聖徳太子の作とされている『勝鬘経義疏』と内容のよく似た書物敦煌文書中に存在することなどを根拠に『法華義疏』は中国書かれたものであって聖徳太子自筆ではないとした東野治之は、『法華義疏』が粒の揃った文字で速書きされていることは認めつつ、そのことがこの文字職業写経生の書いたものだという証拠にはならないとした。また東野は、本書のような押界を用いた遺品写経生の書いたものにはみられず、むしろ上層知識人書いた作品みられること(正倉院宝物光明皇后筆『楽毅論』『杜家立成雑書要略』にも押界がある)、本書簡素な装幀にもかかわらず当初の初(うぶ)な状態を保っているのは、聖徳太子直筆として丁重に扱われてきたためだと考えられることなどから、本書聖徳太子自筆原稿であると見るのが妥当だとした。 魚住和晃は『法華義疏』の随所みられる文字書き直しは、本文とは筆跡異なり別人の手になると思われること、本書用いられている漢文きわめて高度に洗練されたもので、これを当時日本人書けたか疑問であることなどを指摘し本書遣隋使によって大陸からもたらされた本であることを示唆している。巻一巻頭表紙の裏の「此是大委国上宮王私集非海彼本」の書き込みについて、魚住本文とは明らかに別筆であるとしている。また、この書き込みは「此是」の2字だけを大きく書いた上で、以下を2行に分かち書きにしており、しかも「国」の字を書き落として、後から補入しているなど、あまりにもぞんざいである点を指摘している。 井上亘は『法華義疏』に提婆達多品解釈抜けていることを指摘した上で、その原因として『法華義疏』が鳩摩羅什将来漢訳した『法華経』(『妙法蓮華経』)をテキストにしているからであるとする。鳩摩羅什の『妙法蓮華経』は元々提婆達多品欠いた二十七品で構成されていた(竺道生法雲など6世紀前期までに活躍していた僧侶の『法華経』の注釈も『妙法蓮華経』をテキストにしているため、提婆達多品を欠く)が、後に慧思によって真諦訳した提婆達多品付け加えられ今日二十八品が揃ったになったとする。真諦慧思南朝領域活動した人物であり、隋による統一後煬帝による仏教振興影響二十八品の『妙法蓮華経』が長安などの北側地域でも広まったとする。提婆達多品含んだ二十八品の『妙法蓮華経』が日本将来したのは早くて遣隋使随行した留学僧が帰国した後と考えられ、『法華義疏』に提婆達多品含んでいないのはそれ以前から存在した二十七品の『妙法蓮華経』をテキストにしたからと考えるのが適切で、その成立は彼らが帰国する以前推古天皇期に限定されることになる。以上の点から聖徳太子留学僧の帰国以前慧慈らが用いていた二十七品の『妙法蓮華経』をテキスト元に真撰したと考えて良いではないか結論付けている。

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