戦争責任を肯定する立場の主張とは? わかりやすく解説

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戦争責任を肯定する立場の主張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 14:57 UTC 版)

昭和天皇の戦争責任論」の記事における「戦争責任を肯定する立場の主張」の解説

戦争当時日本では国家主権天皇帰属し日本国内でも外国でも天皇日本の元首であり最高権力者であると認識されていて、戦争始めとするすべての政治的な決定天皇の名のもとで下され遂行されたという歴史的事実から、天皇戦争責任があったとする主張がある。 極東国際軍事法廷東京裁判)では天皇起訴されなかったが、裁判長ウィリアム・ウェブは、個人的な意見として天皇の戦争責任言及した。 一、天皇権威は、天皇戦争終結された時、疑問余地が無いほど証明されている。(略) 一、天皇裁判免除された事は、国際軍事法廷が刑を宣告する当たって、当然配慮すべきことだったと私は考える。 一、天皇は常に周囲進言基づいて行動しなければならなかったという意見は、証拠反するか、またかりにそうであっても天皇責任軽減されるものではない。 一、私は天皇処刑されるべきであったというのではない。これは私の管轄外であり、天皇裁判免れた事は、疑い無く全ての連合国最善の利益基づいて決定されのであるウェブはこう述べて天皇には戦争責任があるが、政治的配慮によって起訴されていない事を明らかにした。 また、天皇自身戦争責任意識している節は各種証言手記によって確認されている。ポツダム宣言受諾の際の1条件(国体護持)をめぐる回答や、(中曽根らの進言沿って[要出典])戦後退位を望む意向示したことなど[要出典]。 天皇の戦争責任を問う声は、敗戦直後からすで緩やかな形で存在しており、三好達治人間宣言した天皇について、「神にましまさぬ陛下は、人の子として世の中道理にお従いになるがよろしい」と述べ人として責任問いアメリカから帰国した大山郁夫天皇退位論じた1948年の『中央公論 昭和23年7月号』に大山郁夫寄稿した戦争責任天皇退位』では、「それ(=戦争について天皇責任)は単純に個人道徳上のそれにあるにとどまるものではなく、さらに・・・政治道徳上の責任に渡るものだと思う」と書いている。 山田朗は、「戦争指導責任追及する時期体験としての戦争を語る時期経て侵略告発を伴う加害責任問われるようになったが、この時代にはまだ天皇責任問われておらず、天皇責任を問うたのは井上清の『天皇の戦争責任』が嚆矢であったと書いている 。 井上清主張次のようなものだった昭和天皇帝国憲法第1条第3条第4条において、統治者であること、神聖さ元首である事が規定されており、大日本帝国唯一最高の統治者であった。もし裕仁個人戦争欲しなくて、臣下仕向けられたとしても、「結局は天皇戦争決意することによってしか」戦争できない。 「天皇日本軍唯一絶対統帥権であった」。天皇憲法第11条勅諭によって軍の統帥権者であるとともに忠君道徳強調され上官命令天皇命令として遂行する事が正当化された。参謀本部等は天皇のみの命令を受ける機関であり、規定命令等は全て天皇報告され裁可受けて天皇命令として伝達実施された。統帥権者である天皇命令指揮しない戦争はないのであり、これだけでも「責任疑う余地がない」。 さらに天皇憲法第1条第3条規定される神的権威をもっていた。1868年新暦における明治元年)に天皇統治者となった時から、政府は「天皇神の子孫であり、正当支配者であり、日本国民天皇無限に尊崇し、絶対に従わなければならない」という思想・信仰憲法教育勅語経由し3代明治天皇大正天皇昭和天皇)にわたって国民植え付けた。こうして「天皇権威日本国民をあの戦争へ駆り立てたのである1931年から1945年に至るまでの戦争は「犯罪的侵略戦争」であり、天皇責任を負わなければならない昭和天皇死去した1989年1月7日日本共産党が「天皇裕仁侵略戦争最大かつ最高の責任者」とする中央委員会声明発表している。 2005年5月8日菅直人当時民主党元代表、後に首相歴任)は出演したテレビ番組で「天皇機関説的に動いていたから直接的な責任はないが、象徴的な戦争責任はあり、退位することで戦争責任明確にするべきだった」と述べた。 より具体的に昭和天皇具体的な意識判断含めて責任追及する声もある。昭和20年1945年2月14日近衛文麿元首相終戦後戦犯指名により自殺)は敗戦確信して天皇上奏文を出し敗北による早期終結決断するように求めたが、天皇は「もう一度敵をたたき、日本有利な条件作ってから」の方がよいと判断、これを拒否したという。このことは、少なくともある局面では天皇能動的判断戦争の継続選択していることを意味するとも取れ、またこのときの判断次第ではそれ以降敵味方損害はなかった可能性をも示す。つまり、このときに天皇がこれを受け入れていれば少なくとも沖縄戦広島長崎被爆はなかったはず、というものである外交評論家加瀬英明終戦時昭和天皇態度について「要は天皇以下、当時指導者たちには、国民対す責任感全くなかった。この無責任な人間としての心を失った姿が、戦後日本狂い初めであると思う。苦境に際して、己の責任回避して、他に責任転嫁、己の生き残り優先する。迷惑をかけた人々対し何ら責任取ろうとしない。この無責任体制が、今日の日本もたらしたと言えないか」と述べている。

※この「戦争責任を肯定する立場の主張」の解説は、「昭和天皇の戦争責任論」の解説の一部です。
「戦争責任を肯定する立場の主張」を含む「昭和天皇の戦争責任論」の記事については、「昭和天皇の戦争責任論」の概要を参照ください。

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