戦争について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:23 UTC 版)
戦時中、聖路加病院は政府に「大東亜中央病院」という名称に改名された。特高警察がやってきてスパイの嫌疑で自身や同僚が取り調べられたり、患者を装って病院に出入りし、監視をしていた。十字架の高い塔は宿直が出来る小部屋にあったが、憲兵隊に押し入られた上に塔の十字架が切り取られた。「神の栄光と人類奉仕のため」という病院の理念が刻まれた石碑を御影石の板で覆い隠さなければならなかったという。その時の釘の跡が、今でも生々しく残っていると語った。 敗戦後、聖路加病院は連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収された。この折に日野原は、占領軍が図書館に持ち込んだアメリカの医学書や医学雑誌を読み、言及・引用されることが多かった医学博士ウイリアム・オスラー(1849〜1919年)を師と仰ぐようになった。これが予防や生活習慣の改善を重視する思想に繋がった。 各地の高齢者に戦争を語り継ぐ活動の一環として、フォーラムの講演で「1人1人が持っている命を大切に」「その為にも平和な社会を築く努力を」と訴えていた。『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』出版会見で「武器には武器、暴力には暴力で応じる悪循環を断ち切り、戦争ではなく話し合いで物事を解決する、根強い精神が必要」「知性こそ人間の授かった宝である」と訴えた。10年以上行った「いのちの授業」においては「虐めは暴力」という、不毛を訴えている上に、2015年発売した『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』の帯宣伝にも「戦争はいじめと同じです」と明記されている。95歳の時、子供向けの書籍で、「争いの根っこにある苦しみの感情。それをコントロールできるのは自分だけである」「憎い相手を許す、その勇気で戦いを終わらす事が出来る」「『知る』と言う事をもっと大事にして下さい」と書いた。
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