じっかん‐じゅうにし〔‐ジフニシ〕【十干十二支】
干支
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干支(かんし、えと、中国語: 干支、ピンイン:gānzhī)は、十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞[1]。古代中国にはじまる暦法上の用語[2]。 暦を始めとして、時間、方位、ことがらの順序などに用いられる[1]。六十干支(ろくじっかんし)、十干十二支(じっかんじゅうにし)、天干地支(てんかんちし)ともいう。
注釈
- ^ 『釈名』、『史記』暦書、『漢書』律暦志
- ^ 用兵など外事には十干の奇数日、祭祀など内事には十干の偶数日を用いるのが良い、という意味。
- ^ 一般に流布しているのは10巻本であるが、四庫全書には巻九、十を除いた8巻本が収録されている。
- ^ 甲骨を用いた占いには、癸の日以後10日間の吉凶を判断する定期的な卜旬と、開戦・豊作・異常気象の終わりを祈願する不定期的な占いがあった。
- ^ この年の紀年は、『呂氏春秋』、『前漢書』賈誼伝、『前漢書』翼奉伝、『史記』歴書では、それぞれ乙亥、丙子、丁丑、甲寅となっており、それぞれ流派の異なる紀年が混在していた。前漢末に劉歆によって整備が始まり、これが最終的に整理されて完全に統一されるのは後漢初期の元和2年(西暦85年)の改暦であった。
- ^ この改暦は、中国における官暦の最初とされる。
- ^ 十二獣がなぜ十二支と結びつけられたかには、西方バビロニアの天文学における黄道十二宮が各宮の多くを動物で表すことから、その影響を受けたのではないかとする見方がある。また、これが普及したのは農事暦を農民に教え、浸透させるための便法という説もある。
- ^ 湖北省雲夢県睡虎地で1975年に発見された秦代の竹簡。地方官吏を務めていた喜という人物の墓に収められていた。
- ^ ただし、シカが入りイヌがなく、配当も異なっているなど現代のものとは大きく異なる。
- ^ 中国や韓国にも似た風習がある。
- ^ 亥(中国や韓国などにおける猪(ブタ))が日本ではイノシシ、丑がベトナムではスイギュウなどとなっている。日本で「猪」がイノシシを表すようになったのは、生肖紀年が伝来した当時の日本では、豚の飼育が必ずしも一般的でなかったからと考えられている。
- ^ ヤギを含む
- ^ 類人猿を除いたサルを意味する
- ^ 『猪』は中国語ではブタを意味する
- ^ 銘中の「斯麻」は百済の武寧王と推測される。しかし、この「癸未年」に対しても443年との異論がある。
- ^ 艮(うしとら、北東)を鬼門とする考えは、とくに日本で深められた。鬼が牛のような角をもち、虎皮のパンツをはいて具象されるのも、「うしとら」からの連想である。なお、鬼退治のための動物が、桃太郎の伝説ではイヌ、サル、キジなのは、「うしとら」の反対方向が「ひつじさる」で、「ひつじ」の代わりに「とり」「いぬ」が入り、さらに「とり」が「きじ」に代わっていったのではないかという推測もある。
- ^ 喜撰法師の「わがいほは 都の辰巳(たつみ) しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり」の「たつみ」とは南東方向を示している。
- ^ 庚申の日は60日ごとなので、1年に6回ある。
- ^ 実際は1668年生まれだった可能性が高い。
- ^ 1810年『燕石雑志』に「丙午の女は必ず男を食えると世に伝えし」とある。
- ^ 雑節に基づく暦。雑節とは二十四節気以外に設けられた季節の区切りのこと。本来は、土用は立春前、立夏前、立秋前、立冬前の年4回ある。
- ^ 「ウ」のつく食べ物とは、丑(うし)からの連想と思われる。ウリや梅干し、ウナギなどであるが、ことにウナギは有名である。実際に牛を食べなかったのは、肉食が憚られる時代には無理だったこと、当時の牛は肉や乳を供するのではなく主として労働力に用いられていたからなどの説がある。
- ^ 納甲という名前だが、実際の占いでは十二支を使用することがほとんどである。
- ^ 荻原井泉水は生まれ年の納音「井泉水」を俳号としたものである。
出典
- ^ a b c d e f コトバンク「干支」
- ^ a b 十干十二支
- ^ a b 国立国会図書館「日本の暦」第一章:暦の歴史
- ^ 参考文献:『中国的実在観の研究』(著:木村英一)、『中国上代陰陽五行思想の研究』(著:小林信明)、『宋代易学の研究』(著:今井宇三郎)
- ^ 『漢書』律暦志
- ^ 『日本書紀』巻第19。欽明天皇14年、暦博士を交代し暦本(こよみのためし)を送るようにとの勅を発し、翌年、固徳王保尊が暦博士として来日した記事が掲載される。巻第22には、推古天皇治下の602年に百済僧観勒が来日した記事もある。日本書紀には神武天皇以来の干支が記載されているが、『古事記』にはない。
- ^ 余春台『窮通宝鑑』
- ^ 『日本書紀』推古天皇12年条。
- ^ a b 飯倉(2003)。
- ^ 范曄 (中国語), 後漢書/卷71, ウィキソースより閲覧。
十干十二支
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詳細は「干支」を参照 陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水、(もく、か、ど、ごん、すい、金は「きん」でなく「ごん」と読ませる)の五行にそれぞれ陰陽二つずつ配する。甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、は音読みでは、こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き、と読む。音読みでは陰陽と五行にどう対応しているか分かりにくいが、訓読みにすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となり、五行が明解になる(かのえ、かのと、は金)。陰陽は語尾の「え」が陽、「と」が陰である。語源は「え」は兄、「と」は弟である。「えと」の呼び名はここに由来する。「えと」は本来、十干ないし干支の呼称だった。きのえ、は「木の陽」という意味。 十二支にも五行が配されている。その前提として、季節に対応する五行(五時または五季)は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。土はどこへ来るかというと、四季それぞれの最後の約18日(土用)である。有名な「土用の丑の日」は夏の最後の時期(土用)の丑の日(丑は土の五行)ということである。各季節に十二支を配すると、 春は、一月寅、二月卯、三月辰(五行は木、木、土) 夏は、四月巳、五月午、六月未(五行は火、火、土) 秋は、七月申、八月酉、九月戌(五行は金、金、土) 冬は、十月亥、十一月子、十二月丑(五行は水、水、土) となる(月は旧暦の暦月または節月)。 十二支の陰陽は、子から数えていき、奇数番目は陽、偶数番目は陰となる。十干と十二支が組み合わさるとき、陰と陽の組み合わせはなく、陽と陽、陰と陰の組み合わせのみとなる。そのため、10×12=120とはならず、半分の60通りになる。甲寅はあっても乙寅はない、乙卯はあっても甲卯はない。
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十干十二支
「十干 十二支」の例文・使い方・用例・文例
- 年・月・日,方位,時刻を表すのに用いる十干の第二番目
- 十干の八番目である辛
- 十干と十二支
- 十干と十二支の組み合わせたもの
- 十干において,癸
- 甲という,十干の第一番目
- 庚という,日時や方角を示す干支で,十干の第七番目
- 甲という,日時や方角を表す干支で,十干の第1番目
- 甲子という,十干と十二支の組み合わせの一番目で,暦数を数える方法
- 甲子という,十干と十二支を組み合わせたものの第一番目
- 年日を表す十干の第五位である戊
- 年日を表す十干の第6位である己
- 十干の4番目である丁
- 丙という,十干の三番目
- 戊という,十干の第五番目
- 十干の九番目である壬
- 十干の十番目の千である癸
- 乙という,十干の要素
- 十干の甲と乙
- 十二支
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