【ブロークンアロー】(ぶろーくんあろー)
Broken Arrow.
核兵器の紛失事故を意味するアメリカ軍の符丁。
戦略哨戒任務についた戦略爆撃機が滞空中に発生させる事が多い。
これらの教訓から戦略哨戒は徐々に縮小され、核武装は弾道ミサイルや戦略潜水艦に置換されていった。
主な事例
- 1950年、アメリカのアラスカ州。
Mk.4ウラニウム型原子爆弾を搭載して飛行中のB-36が墜落した。
機体ごと海中に没したと思われていた原爆が1953年にカナダで発見され、起爆しなかった原爆は回収された。
- 1966年、スペイン。
B28R水素爆弾4基を搭載したB-52が空中給油中にKC-135Aと衝突、海中に墜落した。
水爆のうち2基は地上で飛散して放射能汚染を引き起こし、1基は回収された。
残る1基は行方不明(海中に没したと見られる)。
- 1968年、デンマーク自治領グリーンランドのチューレ空軍基地上空。
B28FI水素爆弾4基を搭載してアラート任務に就いていたアメリカ空軍のB-52の機内で火災が発生。
機体はチューレ基地西方の氷上に墜落し大破炎上、これにより水爆に搭載された爆縮用通常火薬が起爆。
核爆発には至らなかったものの放射性物質が飛散、炎で溶けた氷と混じり合って大規模な放射能汚染を引き起こした。
なお、2009年1月時点でも1基の水爆が未発見。跡形もなく爆散して海水に混じり凍ったものと推定される。
参考:ローグスピア、ベントスピア、フェデッドジャイアント、ダルソード
ブロークンアロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/15 00:10 UTC 版)
ブロークンアロー (Broken Arrow)
- 1 ブロークンアローとは
- 2 ブロークンアローの概要
ブロークン・アロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 10:26 UTC 版)
『ブロークン・アロー』(Broken Arrow)は、1996年に公開されたクリスチャン・スレーター、ジョン・トラボルタ主演のアメリカ映画。日本公開時のキャッチコピーは「緊急指令、ステルス発進」。
- 1 ブロークン・アローとは
- 2 ブロークン・アローの概要
ブロークン・アロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:27 UTC 版)
「チューレ空軍基地米軍機墜落事故」の記事における「ブロークン・アロー」の解説
1968年1月21日、ニューヨーク州プラッツバーグ空軍基地(英語版)、第380戦略爆撃航空団(英語版)のB-52G(コールサイン“HOBO 28”、機体記号58-0188)は、チューレ空軍基地およびバフィン湾上空での「ハードヘッド」任務を割り当てられた。同機には機長のジョン・ハウグ大尉を含む5名の正規搭乗員に加え、航法士の交代要員カーティス・クリス大尉、および追加の操縦士としてアルフレッド・ディマリオ少佐が搭乗した。 離陸前、ディマリオは、下層デッキの後部区画にある教官航法士席下の暖気口の上に3個の布カバーのフォームクッションを置いた。離陸後すぐ、座席の下にもう一つクッションを足した。飛行は何事もなく、予定されていたKC-135からの空中給油の際にB-52G側の自動操縦の不具合により手動で操縦した程度だった。給油から約1時間後、指定空域を旋回中、ハウグ大尉は副操縦士のレナード・スヴィテンコ大尉に休憩に入るよう指示した。スヴィテンコの席には交替要員のディマリオがついた。ヒーターの温度を上げていても機内は寒かったので、ディマリオはエンジンの抽気弁を開けて集合排気管の熱をヒーターに足そうとした。この時ヒーターに故障があり、結果的に集合排気管から乗員室の暖気口までの間で温度が殆ど下がらない状態となった。続く30分のうちに機内は不快なほど暑くなり、詰め込んでいたクッションが発火した。乗員の一人がゴムの焼ける匂いがすると報告したので一同で火元を探した。航法士は下層区画を2回探して回り、金属製の箱に隠れた後ろが燃えているのを見つけた。そこで火を消そうと消火器を2本使ったが消し止められなかった。 15時22分(EST)、離陸して約6時間後、チューレ基地南方90マイル (140 km)にてハウグは緊急事態を宣言した。彼はチューレの航空管制に機内で火災が発生したと伝え、同空港への緊急着陸の許可を要請した。それから5分も経たずに機内の消火器を使い尽くしてしまい、電力は落ち、操縦室に煙が充満して計器を読むことさえできなくなった。状況の悪化により機長は着陸は不可能と判断し、脱出準備を指示した。彼らは機体が陸地上空に達するのを待ち、チューレ基地の明かりの直上に来た、というディマリオの合図で4名が射出座席で脱出、続いてハウグとディマリオも脱出した。副操縦士のスヴィテンコは射出座席を交替のディマリオに明け渡していたので下部ハッチから脱出を試み、頭部に致命傷を負った。 無人となった機体はそのまま北へ飛行し、その後左に180度回頭して、15時39分にノーススター湾の海氷の上に約20°の比較的浅い降下角で墜落した。チューレ基地から西へ約7.5マイル (12.1 km)の地点である。4発の1.1メガトンB28FI核爆弾の起爆用高性能爆薬(HE)部分は衝撃で即座に爆発し、放射性物質が汚い爆弾並みに広範囲に飛散した。核爆発は起きなかった。墜落後225,000ポンド (102 t)のジェット燃料が5、6時間に渡り燃え続け、その熱で氷床が溶けて残骸や弾薬は海底に沈んだ。 ハウグとディマリオは基地にパラシュート降下し、それぞれ10分と離れずに基地司令官と連絡を取った。彼らは基地司令官に少なくとも6名が脱出に成功したことと機体に4発の核兵器が搭載されていたことを伝えた。非番の隊員が召集されて残りの乗員の捜索と救助に当たった。生存者うち3名は基地から1.5マイル (2.4 km)以内に降下しており2時間以内に救助された。最初に脱出したクリス大尉は基地から6マイル (9.7 km)離れた地点に降下して発見まで氷盤上で21時間過ごすこととなり、-30.6℃の気温のせいで低体温症になったが、パラシュートにくるまって生き延びた。スヴィテンコの遺体は回収され、コロラドスプリングスの空軍士官学校の墓地に埋葬された。 事故直後に墜落現場を空から調べたところでは、氷上の煤けた表面にはエンジン6基、タイヤ1本とその他小さな破片の他は何も残っていなかった。この事故は「ブロークン・アロー」(米軍用語で、戦争勃発の危険のない核兵器事故)に指定された。
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