グランディ決議とは? わかりやすく解説

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グランディ決議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/10 10:22 UTC 版)

グランディ決議(グランディけつぎ、Ordine del giorno Grandi)とは、1943年7月25日、当時のイタリアの最高諮問機関であるファシズム大評議会において採択された、当時のイタリア王国の首相であるベニート・ムッソリーニに対する首相退任要求決議である。




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グランディ決議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:33 UTC 版)

ベニート・ムッソリーニ」の記事における「グランディ決議」の解説

1943年7月24日大評議会開かれるにあたり評議員資格を持つ者の中から28名が召集されヴェネツィア宮の「鸚鵡の間」に集まったヴェネツィア宮には200名の警察部隊と国家義勇軍1個大隊警備任務に就いていたが、ムッソリーニ直属衛兵部隊ローマ空襲対す救助任務送り出されていた。大評議会議長でもあるムッソリーニ緑色染められ国家義勇軍制服を身に着け評議員達も黒シャツ隊式の夏服を纏っていた。部屋中央置かれ議長席の両脇には最古参幹部エミーリオ・デ・ボーノ陸軍元帥PNFにとって最後党書記長となる第8代書記長カルロ・スコルツァ(イタリア語版)らが座り残り26名が順々に席を並べていた。この日、シチリア島中心地パレルモ陥落したとの報告入り出席者達は重苦しい空気会議待っていた。 午後5時14分、ムッソリーニが「両半球図の間」から「鸚鵡の間」に移動して議長席に座ると、スコルツァが『統領敬礼』と呼びかけ全評議員立ち上がってア・ノイ我らがもの!)』と唱和してローマ式敬礼行い評議会開催された。 まず最初にドイツ軍軍事行動についてムッソリーニ所見述べ戦局が「極めて危機的な状態にある」という事実を認めつつも戦争の継続主張した第一次世界大戦におけるカポレットの戦い引き合い出し当時政府単独講和案を跳ね除けローマからシチリア遷都してでも戦い抜く決意固め遂に協商国南部戦線守り抜いたことを例に挙げている。また休戦講和については連合国戦い挑んでいるのは「イタリアであってファシズムではない」と指摘している。グランディ提出予定している決議案も単に状況混乱させるだけのものである一蹴しているが、『合議拘束する』として決議結果には従うとした。 ムッソリーニの後にはかつてのファシスト四天王であるデ・ボーノ元帥チェーザレ・マリーア・デ・ヴェッキイタリア語版議員発言したが、議論影響する発言避けている。元文大臣ジュゼッペ・ボッタイ協商国同じく枢軸国ドイツ)はイタリア十分に支援するとしたムッソリーニ主張退け状況から見て意義のある本土決戦不可能であると主張した。むしろムッソリーニ暗に苦境認めたことは継戦派の幻想打ち砕く大槌」であると述べている。そしてボッタイ次に発言の席に立ったグランディは「サヴォイア家統帥権憲法上の大権掌握」を求め決議案大評議会提出した(グランディ決議)。グランディ基本的に現状国家指導批判する姿勢取ったが、前述通りムッソリーニにとっても有用であるという持論述べている。ムッソリーニ個人への批判行わず全体主義体制構築のために選択され独裁制批判矛先向けたムッソリーニファシズム高潔な理想独裁統制社会という現実の手法によって道を誤ってしまった、というのがグランディ言い分だった。グランディは「かつての貴方に我らムッソリーニに、我々が付き従ったムッソリーニ戻って欲しい」と語り最後にドゥーチェ、我々とあらゆる責任分け合いましょう」という言葉演説終えた次に発言したのは娘婿外務大臣ガレアッツォ・チャーノだった。チャーノもまたムッソリーニ批判することはせず、ドイツ破滅的専横的な戦争計画への批判行った。特に自身締結関与した鋼鉄条約に「1942年まで両国戦争回避する」という条文ドイツ破った時点で、最初から独伊間に外交上の信義などないと指摘した。チャーノは「我々は裏切り者ではない。我々の方こそ裏切られたのだから」と語り同盟破棄についていかなる歴史家否定的評価恐れる必要はないと述べている。一方継戦派・親独派の評議員である元党書記長ロベルト・ファリナッチ王家大権返却することでより団結した指導体制構築するというグランディ提案賛同した。ただし休戦講和取りまとめることを意図していたグランディ違い戦争継続向けてサヴォイア家抱き込むためであった議論真夜中にまで及び、冷房もない宮殿滞在する評議員には明らかに疲れの色が滲んでいた。動議最初賛成したのは10程度だったが、延々と続く議論の中で評議会出席経験がなく議論不慣れな人々へのグランディによる執拗な説得展開され全会一致方向進み始めたムッソリーニ評議員疲労考慮して議論翌日再開する発言すると、グランディ食い下がったために結局は30分の休憩挟んで再開となった覇気欠けムッソリーニ対抗した根回しを行うことはなかったが、その代わり再開され評議会ムッソリーニ国民と党の間の亀裂協調するグランディに「決議通れば党はその亀裂飲み込まれる」と強く批判する演説行った。この演説決議案の意味について評議員達に再考促す結果を齎し、決議賛成に傾いていた一人である書記長スコルツァを翻意させることに成功した。スコルツァはムッソリーニPNF中心としたファシズム体制への回帰主張する新たな動議提出しグランディボッタイらを驚嘆させた。 他に複数評議員賛成取り消しはじめ、グランディ急遽議論切り上げて決議要請したムッソリーニ議決を取るか取らないかの権限すらあったが、支持戻りつつあるにも関わらず議論続けず、スコルツァに命じて決議取らせた議決結果28名中、賛成19名・反対7名・棄権1名となり、サヴォイア家への独裁返上求め決議可決された。ムッソリーニ黙々と書類整理しながら「これでファシズム体制危機迎えた」と発言して席を立ったグランティらに説き伏せられて動議賛成票を入れた中立派の殆どは動議の意味する結果理解できておらず、議案結果周囲尋ねたりムッソリーニ敬礼するなどしている。

※この「グランディ決議」の解説は、「ベニート・ムッソリーニ」の解説の一部です。
「グランディ決議」を含む「ベニート・ムッソリーニ」の記事については、「ベニート・ムッソリーニ」の概要を参照ください。

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