サボイア‐け【サボイア家】
サヴォイア家
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サヴォイア家(サヴォイアけ、伊: Casa Savoia; 仏: Maison de Savoie; 英: House of Savoy)は、かつてイタリアのピエモンテとフランス及びフランス語圏スイスにまたがるサヴォワ一帯を支配していた辺境伯貴族であった家系。1713年、スペイン継承戦争の結果シチリア王国の王位を獲得、1720年にハプスブルク家とシチリア島、サルデーニャ島の交換を行い、サルデーニャ王国の王位を代わりに得た。イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となった。フランス語名からサヴォワ家(Maison de Savoie サヴワ)と呼ばれることもある。
サヴォイア家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:23 UTC 版)
1536年から1562年にかけてフランス王国の占領後はサヴォイア家に帰属した地域で、スペイン継承戦争では1706年にフランスに包囲されたがサヴォイアが勝利したトリノの戦いがあった。
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サヴォイア家
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「サルデーニャ君主一覧」の記事における「サヴォイア家」の解説
サヴォイア家の君主は自らの根拠地であるトリノに首都を置いたが、自身の称号としてはサヴォイア公よりも格上であるサルデーニャ国王を用いた。ただし、「○世」の代数はサヴォイア君主としてのものを共通で用いている。 名前肖像画生年結婚死去ヴィットーリオ・アメデーオ2世1720年2月17日 - 1730年9月3日 1666年5月4日トリノカルロ・エマヌエーレ2世とマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタ・ディ・サヴォイアの息子 アンナ・マリーア・ドルレアンス1684年4月10日6人の子を儲ける 1732年10月31日モンカリエーリ66歳没 カルロ・エマヌエーレ3世1730年9月3日 - 1773年2月20日 1701年4月27日トリノヴィットーリオ・アメデーオ2世とアンナ・マリーア・ドルレアンスの息子 アンナ・クリスティーナ・ルイーザ・デル・パラティナート=スルズバック1人の子を儲けるポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ6人の子を儲けるエリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ3人の子を儲ける 1773年2月20日トリノ72歳没 ヴィットーリオ・アメデーオ3世1773年2月20日 - 1796年10月16日 1726年6月26日トリノカルロ・エマヌエーレ3世とポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグの息子 マリーア・アントニア・ディ・スパーニャ12人の子を儲ける 1796年10月16日モンカリエーリ70歳没 カルロ・エマヌエーレ4世1796年10月16日 - 1802年6月4日 1751年5月24日トリノヴィットーリオ・アメデーオ3世とマリーア・アントニア・ディ・スパーニャの息子 クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチア1775年子を儲けず 1819年10月6日ローマ68歳没 ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世1802年6月4日 - 1821年3月12日 1759年7月24日トリノヴィットーリオ・アメデーオ3世とマリーア・アントニア・ディ・スパーニャの息子 マリーア・テレーザ・ダウストリア=エステ1789年4月21日7人の子を儲ける 1824年1月10日モンカリエーリ65歳没 カルロ・フェリーチェ1821年3月12日 - 1831年4月27日 1765年4月6日トリノヴィットーリオ・アメデーオ3世とマリーア・アントニア・ディ・スパーニャの息子 マリア・クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ1807年3月7日子を儲けず 1831年4月27日トリノ66歳没 カルロ・アルベルト1831年4月27日 - 1849年3月23日 1798年10月2日トリノカリニャーノ公カルロ・エマヌエーレとマリーア・クリスティーナ・ディ・サッソニアの息子 マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナ1817年3人の子を儲ける 1849年7月28日ポルト50歳没 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世1849年3月23日 - 1861年3月17日 1820年3月14日トリノカルロ・アルベルトとマリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナの息子 マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ1842年8人の子を儲けるローザ・ヴェルチェッラーナ(英語版)1869年2人の子を儲ける 1878年1月9日ローマ57歳没 1859年から1861年の間に、サルデーニャ王国はイタリアの主要な諸国を併合した。1861年3月17日、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はトリノの議会においてイタリア国王即位を宣言した。
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