EPSON PCシリーズ EPSON PCシリーズの概要

EPSON PCシリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 08:32 UTC 版)

概要

EPSON PC シリーズは、インテル社のi80286を採用した PC-9801VX/RX/DX などが主流となった1987年から、Windows 95 が発売される前の1995年初頭にわたって生産、販売された NEC PC-9801 互換機である。

初期は同等な性能の機種ではNEC製品より安く同価格帯のNEC製品より高速であることだったが、末期はNEC機にはない特殊なアップグレードパスを用意することをコンセプトとして製造販売が続けられた。

スペックの変遷

黎明期

エプソンによるNEC98互換機の開発は1986年初めに始まった[1]

これまでエプソンは自社独自のパソコンでのビジネスにことごとく失敗に終わっており、やむなく1984年にIBM-PC互換機を開発。アメリカで発売し成功しているが、このときには企業や技術者の誇りにも関わる問題であると社内でも異論や混乱が見られていた[2]。98互換機についてもこの時代からすでにその開発計画が模索されていたが、1985年秋、開発がスタートする[3]

日本では当時、数社に NEC PC-9801 互換機発売の噂があったが、同社は仮想競合メーカに先駆けて1番目に発売することを目標とし、1987年元日日本経済新聞に1ページ全面NEC互換機発売を暗示するカラー企業広告を掲載した[1][注釈 2]

1987年3月2日、同社がマスコミ各社に向けて「新製品(互換機)発表会見を3月9日に行う」と連絡したが、3月8日付けの朝日新聞に「同社が互換機の発表を中止する」とのスクープ経済記事が掲載され、翌9日午前中に「会見を13日に延期」と同社より正式な通達がマスコミ各紙に伝達された[5]。理由は同社が事前にNECに訪れた際に類似点があると指摘を受けたことで、理解を得た返答を待つ期間をとったことによるもの[5][6]。しかし、NECは同社に対し13日までには返答せず、関係者には新製品の詳細記事が7ページに渡って掲載された「日経パソコン3月16日付」の早刷りが12日段階には配布されていた影響もあり、3月13日に同社はNECからの理解を得られないまま発表会見が行われ、その中で新製品発売が4月上旬予定から急遽4月中に訂正しているなど混乱した面を見せており、更に同日夕刻にNECが会見を開き「互換機には類似点が多くクロ」との内容を示したことで互換性と著作権の問題が表面化した[5]

当初4月中に発売予定であった「PC-286 Model 1 - 4」はCPUにi80286 10MHzを採用、遅れて同年6月に発表されたPC-9801VX21相当の性能を持ち、内容・装備により4種類あった[5]BIOSの開発は類似性が極小となるように細心の注意と最大の慎重さを持って長い期間をかけて取り組み、著作権保護に厳しい米国でIBM互換機を発売した経緯や実績から同社は「シロ」という自信がありつつも、問題部分を修正する対応を行った[5]。しかし、NECが同社から提供された同機器を調査をした結果、BIOSが9801のリバースエンジニアリングによるものなどの要因から「BIOSおよびROM部分に類似点が多い」と著作権知的所有権の侵害と見解が示され、NECは4月7日に東京地裁に製造・販売差し止めの訴訟を起こし、再調査・検討後に発表するように同社に申し入れた[5][7]。係争中となった「PC-286 Model 1 - 4」は客側の不安感を見越して営業上の見地から発売を取りやめ、一度も市場に登場しないままお蔵入りとなった[5]。また日本では訴訟沙汰は市場に悪いイメージを抱かれかねず、また裁判で何年にも渡ってビジネスが停滞してしまうのは損害である、などと言った判断から、11月にはNECと和解、和解金を支払った[注釈 3]。それと並行して別グループによりクリーンルーム設計で開発されていたBIOSと差し替えたり[注釈 4]BASICROMで持たない仕様に変更などの対策を施した「PC-286 Model 0」が実際市場に登場した量販98互換機第1号製品として4月24日に発売された[5]

発売初期、日本では期待や関心は高かったものの、BASIC がなくそれを利用するゲームや教育用ソフトは未対応であった影響もあり、売れ行きはいま一つ低調であった[1]。9月10日「PC-286用 ROM BASIC」を発売、これによりBASIC を利用するゲームや教育用ソフトも対応となり NEC PC-9801 互換機性能も向上[1]。翌9月11日に初代機よりコンパクトになった標準機「PC-286V」と、3.5インチFDDとFM音源採用でPC-9801UV相当[注釈 5]の廉価機「PC-286U」を発表[1]。また、BASIC ROM を最初から搭載した「PRO SPEC PC-286」発売[1]。この頃に同社は大量に抱えていた初代機の在庫処分を行い、上新電機が3000台一括仕入れして販売するなど関西方面から動き出したPC-286好転の流れは北上して東京方面にも波及し、10月新発売の「PC-286V」「PC-286U」はその勢いに乗り好調な販売状況となった[1]

PC-286L

1987年11月ラップトップ機の PC-286L シリーズを発表・発売。NECのラップトップ機である PC-98LT が、PC-9800 シリーズでありながらテキストVRAMを持たず互換性に乏しかったのに対し、ほぼPC-9801VM2 相当の互換性を持たせた[注釈 5]。またCバスを独自に小型化した汎用バス「Lスロット」を搭載していた。ただし表示デバイスは2階調表示のSTN液晶またはNTN液晶(白色表示)で、カラー表示を前提としたアプリではやや見難い欠点があった。このシリーズはその後8階調表示の PC-286LE、高速版の PC-286 Book、PC-386 Book-Lなどを経て PC-286 Note シリーズに引き継がれた。11月30日に同社がNECに和解金を支払うことなどで両社が和解すると発表し、著作権係争は決着した[1][5]。PC-286シリーズは16ビットパソコン販売数量シェアで9月の4.3%から10月は9.9%、11月は20.1%と急上昇し、12月には需要急増に供給が追いつかず品不足が発生するなど予想を上回る状態が続き、週刊ダイヤモンド1987年12月5日号の「特集:今年の超ヒット商品番付」で総合第5位、事務機部門では第1位にランク付けされた[1]

1988年には、PC-9801RX相当の12MHzの286を搭載しより安価な「PC-286VE」、同様にPC-9801RA相当の20MHzのi386DXを搭載した「PC-386」、NEC機には存在しない16MHz駆動のAm80286を搭載した「PC-286X」が発売されにわかに注目を浴びることとなった。翌1989年、80C286(12MHz、ノー・ウェイト)を搭載したPC-286LS、80286(16MHz、ノー・ウェイト)搭載のPC-286VSが発表された[9]。この高速286路線は、1990年発売の20MHz駆動の「PC-286VX」やその普及型である16MHzの「PC-286VG」と続くこととなる。また、本体キーボード一体型のPC-CLUB(PC-286C)、プリンタ一体型のラップトップ機 PC-ONE(PC-286LP)などの機種も発売された。また、8MHzベースクロックのCPUを搭載するに当たっては互換性を考慮して、RS-232C 経由での通信用に別途5MHzのベースクロックを供給した。NECは当時このような対応を行わなかった影響で、14400bpsモデムの登場期に「NECよりエプソンの方が互換性が高い」と後に皮肉られることになる[要出典]

この世代までの PC-386 と全ての PC-286 は、グラフィックやテキスト表示が高速で、動作中にCPU動作速度の切り替えが行える等の特色を有していたが、PC-9801VX 以降に搭載されている高機能版 GRCG である EGC の互換能力を持たず、PC-9801VM 相当の GDC と GRCG 相当であったため、EGC を使うプログラムでは互換性に問題があった。この点は、「高速なVM」の域を脱してはいなかったと言える。もっとも、当時の NEC PC-9800 シリーズ対応市販アプリケーションソフトのうち「VX以降」を要求したものでも、大半は高速性の要求であり、i286命令[注釈 6]やEGC を必須としたものは少なかった。その意味では「高速で安価なVM」であることに徹したPC-286/386シリーズに相応の競争力があったのは事実であり、特にパソコンゲームのファンや同人ソフトの製作者たちに好まれた。またNEC がPC-98XA/XL/XL2/RLで展開したハイレゾモード(高解像度モード)には追随しなかった。

高解像度化

EPSON PCシリーズ
PC-386GE
種別 パーソナルコンピュータ
発売日 1991年6月 (31年前) (1991-06)
OS MS-DOS Ver 2.11(付属)
CPU Intel 80386SX 16MHz

1990年12月発売の「PC-386S」は25MHzの i386DX と互換の EGC グラフィック処理プロセッサ[注釈 7] を搭載し、同時発売の「PC-386G」では33MHzの i386DX とハイレゾモード(高解像度モード)を搭載するという方針の大転換を行った。これはNECより安価で高速な高解像度機であったが、NECは高解像度機を NESA搭載のPC-H98シリーズに移行している。エプソンはこの時期にNECとの間でNESAに関するライセンス契約を結んだとされるが、これはそこに包含される一部仕様のライセンス取得が主目的であったらしく、最終的に同社は NESA 搭載機を製造販売せずに終わっている。

この頃、フロッピーディスクが5インチから、ワープロ専用機等で爆発的に普及しつつあった3.5インチへと一気に移行しつつあった。その隙間のニーズを突く形で、エプソンは1991年6月の「PC-386GS」から、3.5インチフロッピーディスクドライブ(FDD)2基と5インチ・フロッピーディスクドライブ1基を搭載するモデルを投入した。フロッピーディスクドライブを標準で3基搭載するパソコンは他社製品では日本IBMの5550シリーズの一部に見られた程度で、5インチドライブと3.5インチドライブを混載とした例は他になく、この時期の EPSON PC の特徴として知られている。

1990年から1992年にかけて、セイコーエプソンは欧米でのパソコン不況や日本の景気後退の煽りを受け、苦境に陥っていた。EPSON PCはNECの機種に比べて粗利が少ない分、収益を確保するために多く販売する必要があったが、不況の影響で販売量が伸びない状況にあった。また、NECが高性能機から低価格機まで幅広く商品を展開していたのに対し、セイコーエプソンは低価格機の展開に注力し、32ビット高性能機の商品展開でNECに後れを取っていた[10]

1992年6月発売の「PC-486GR」では、i486SX 25MHz、グラフィックアクセラレータ専用32ビットローカルバス搭載、CPUをメモリコントローラーと共にドーターボード搭載とし、これを差し替えることでオーバードライブプロセッサによるものでない正規の Pentium へのアップグレードを保証、とNECの同世代機に比してCPUクロック、グラフィック描画性能について圧倒的な高性能を低価格で実現し、ベストセラーとなった。後から部品交換や追加することでマシンの性能を段階的に向上可能とするこの設計コンセプトは「UP GRADE コンセプト」とよばれ、以後のエプソン製互換機の一大特徴となった。続く PC-386/486 ノートシリーズ各機種でも、CPUやハードディスクドライブ、増設フロッピーディスクドライブやカード、液晶モジュールなどのパーツを、交換できるような設計がされた(PC-386NAR、PC-486NAS以降)。また、ノートシリーズ用のハードディスクドライブパックを内蔵できるデスクトップ機もあった。

また、変わったところで PC-486 PORTABLE(PT)というペンコンピュータがこの時期に発売されている。

性能的には高価格帯に移行していったとはいえ、それでもシステムセット価格ではNECの主流より、実売価格で2割から3割以上安価に供給されていた。また、高解像度をオプションとすることで価格を下げた「PC-486GF」も発売された。エプソンの i486 機の方がNECの i386 機より安かったのである。このことはPC-9801FAまで従来路線を踏襲していたNECに、主力デスクトップ機の製品計画を見直させるきっかけになった[11]

この時期のエプソンの動きとして注目されることの一つに、Sound Blasterシリーズで知られるクリエイティブテクノロジーとの共同開発による、Cバス対応版Sound Blaster 16の提供がある。これは、NEC純正のサウンドボードが低機能な PC-9801-26K か高機能で非常に高価な PC-9801-73 しかなく、当時流行しつつあったマルチメディア対応、特に Windows 上でのPCM音声の取り扱いに適当なサウンドボードが存在しなかったために開発されたものである。

もっとも、その一方でこのボードは本来のSound Blaster 16相当のFM/PCMサウンド機能だけではなく、PC-9801-26ボードとのFMサウンド機能の互換性を持たせるため、オプションとしてOPNチップとその周辺チップを追加搭載するためのソケットが用意されているという特徴があり、アイ・オー・データ機器の取り扱いによるボードの外販もあって本家NEC製98のユーザーにも普及し、一時は海外からの移植ゲームを中心に対応ソフトが提供されるなど、98用サウンドボード市場に一大勢力を形成した。

シリーズの終焉とその後

1993年1月、NECがそれまでのラインナップを一新して98MATE(PC-9821シリーズ)と98FELLOWを発売。EPSON PCシリーズ後続のPC-486/586シリーズにおいてはPC-9821の機能拡張の中核をなすPEGC相当のVGA解像度グラフィック機能の実装や、PC-9801-86相当FM/PCMサウンド機能の搭載は行われなかった。エプソンはパソコンの価格設定やコンセプトで独自の魅力を打ち出せずにいた一方、プリンター事業は急成長しており、その収益でパソコン事業のてこ入れを試みていた[12]1993年9月「PC-486HX」においてはPCI 1.0準拠(スロットのコネクタ形状は規定されていなかったため独自形状)のローカルバスを搭載するなど独自拡張路線を貫いたが、1995年6月の「PC-586RJ」をもってシリーズは終焉を迎えた。

エプソンは、エプソン販売がVividyシリーズを、エプソン販売の子会社エプソンダイレクトがEndeavorシリーズを立ち上げるなど、PC/AT互換機路線に移行し、EPSON PC シリーズは登録ユーザへのアップグレードパーツの優待販売とWindows 95[注釈 8]の販売をもって、サポートを終了した。

その後、エプソンは「プラットフォーム・エミュレータ 98/V」を発売し、その体験版を無償で公開した。「98/V」はVividyやEndeavorをはじめPC/AT互換機上でPC-9800シリーズ用ソフトウェアを動作させるためのエミュレータソフトウェアである。

「98/V」は純粋なソフトウェアエミュレータ版とEGC互換チップ等を実装したISAカードと専用ソフトウェアがセットとなったハードウェアエミュレータ版の2種が提供された。前者にはGRCG相当の描画機能しかサポートしなかったものの、使用条件を満たすPC/AT互換機上であれば機種を選ばず動作するというメリットがあり、後者にはISAスロット1本の消費と引き替えに、ソフトウェア版に比して格段に高速な動作とEGC相当の描画機能が提供されるというメリットがあった。

とは言え、これらはいずれもPC-9801-26K以降のNEC純正FM音源を公式にはサポートしなかった(後にユーザーによりフリーソフトが作成された)ためにゲームには不向きであった。それ故、EPSON PC ユーザーは以後Windowsの快適な環境を最優先にPC/AT互換機に乗り換えるか、それともMS-DOSゲーム環境を重視して、この時期以降急激に低価格化していったPC-9821シリーズを購入するかの二者択一を迫られることになっていったのである。

本体の型番

EPSON PC シリーズはごく一部の機種を除き、搭載しているインテル製80x86系CPUの名前を冠している[注釈 9]。ラップトップ機には「L」、ノート機には「NOTE」、ブックタイプ機には「BOOK」と続くものの、デスクトップにおいては、アルファベットに一貫した命名基準はない模様である。

※初期には当時のPC-9800シリーズの命名基準を意識した、Vが5インチFDD搭載のメインストリーム、Xが高速・拡張性重視のやや大型の筐体、Uがホビー指向の3.5インチFDD搭載の小型筐体機というグループ分けはされていた。

なお、「Pro-486」のみは命名基準から唯一逸脱している。


注釈

  1. ^ 後にPC-9800シリーズを指す用語として用いられるケースもあったが、日本電気(当時・後のNECパーソナルコンピュータ)が広告などに用いていた語ではない。
  2. ^ キヤノンシャープなどの参入の可能性が考えられていた[4]
  3. ^ 1988年当時の営業企画本部長である斎藤によれば、著作権侵害の事実関係自体については「自信があった」という。また、この騒動が連日マスコミに取り上げられ、相当な宣伝効果が得られたと語っている[8]
  4. ^ 当時のNEC関係者は、なぜ最初からクリーンルーム方式で開発されたBIOSを搭載して発売しなかったのか意図が良くわからないと述べている。
  5. ^ a b つまり「PC-286」を名乗ってはいるが 80286 搭載ではなく、V30搭載である。
  6. ^ 80286の持つ命令のうち80186/V30に無いものは、基本的にプロテクトモードと80287に関連する命令(システム命令)だけである。i8086には無くi80286で新たに追加された命令のうち、リアルモード用の命令(一般命令)11個については80186/V30にも同様に追加されており、80287を使わない限りはリアルモードにおいて同等の命令セットを利用できる。ただし細かいことを言えばPUSH SPPOP CSのような非互換部分もある。
  7. ^ : enhanced graphic charger。NEC PC-9800シリーズの一部(80286以降の世代)に搭載されたグラフィック処理プロセッサ。
  8. ^ EPSON PC シリーズ用Windows 95は、最終的に5万本を販売した[13]
  9. ^ ただしPC-286U、最初のラップトップ機PC-286L、LE、最初のノート機PC-286NOTE executive、PC-286NOTE Fの5機種はCPUにV30を搭載している。また、Pentium搭載機はPC-586であるが、命名基準に沿っているものといえる。
  10. ^ ハードウェアのROM内の「NEC Corporation」等文字列の有無をチェックしているとされる[14]
  11. ^ プリインストール版ではMS-DOS 5.00A-Hの最終版以降で廃止。なおMS-DOS 5.00A-HがプリインストールされていないPC-98であっても、市販のMS-DOS 5.0系に対するアップデータが付属する場合があるので、これを適用することでプリインストール版MS-DOS 5.00A-H相当になる。
  12. ^ このチェック廃止については「PnP BIOSとの相性の問題があり、NEC機であってもチェックに引っかかる(当該文字列等を検知できない)場合があるから廃止した」との説もあるが定かではない[要出典]
  13. ^ Windows 3.1の場合、NEC PC-9800シリーズ対応のマイクロソフト(MS)版・NEC版には無いGRCG用のディスプレイドライバを収録している(前述の通りNEC版をSIPでチェック解除してもEGC用ドライバしか無く対応機種が限られる)。同じくMS版・NEC版ではスタンダードモードでDOSプロンプトが実行できないという制限があったが、EPSON版ではそのような制限がなかった。また、日本語入力システムはエー・アイ・ソフトの開発した「WXA-WIN」が搭載されていたが、MS版のMS-IMEと同等のものだった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 木村登志男 (2010年2月16日). “セイコーエプソン・国内市場エプソンブランド完成品躍進の端緒 ビジネスケース 資料 No.3 (PDF)”. WORKING PAPER SERIES No.82. 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター. 2021年11月5日閲覧。
  2. ^ パソコンヒット商品物語 1991, pp. 44–47.
  3. ^ パソコンヒット商品物語 1991, pp. 47–48.
  4. ^ パソコンヒット商品物語 1991, p. 50.
  5. ^ a b c d e f g h i 業界タイムマシン19XX--Trip11:セイコーエプソン vs. NEC PC-98互換機騒動”. ZDNet Japan (2007年9月28日). 2021年5月21日閲覧。
  6. ^ パソコンヒット商品物語 1991, pp. 52–53.
  7. ^ パソコンヒット商品物語 1991, p. 53.
  8. ^ パソコンヒット商品物語 1991, pp. 54–55.
  9. ^ インターフェース 1989年3月号, p. 306.
  10. ^ 「NPCレポート なぜ広がらない98互換機ビジネス 「幻の98互換機」があった」『日経パソコン』、日経BP、1992年2月3日、 110-115頁。
  11. ^ 「特集 : 追う98、追われる98」『日経パソコン』、日経BP、1993年3月15日、 130–145頁、 ISSN 0287-9506
  12. ^ a b 石井, 智明「戦略研究 セイコーエプソン: 販売上向くも収益低下で正念場に立つ98互換路線」『日経パソコン』1994年9月12日号、日経BP、 136–142頁、 ISSN 0287-9506
  13. ^ 日経産業新聞』1998年4月15日付
  14. ^ パソコンの活用便利事典 1988, p. 164.
  15. ^ a b 伊藤博康 ほか、1990、『パソコン通信 8月号別冊 32ビットパソコンのすべて』、エーアイ出版 pp. 36


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