黒船来航 事例

黒船来航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 03:15 UTC 版)

事例

岩倉具視「招魂社を建設する事」[39]

贈答品

1830年代から50年代にかけ、アメリカでは衣服製造用のミシンが発達していたが、1854年(嘉永7年)の2度目の来航のときには、ペリーから徳川将軍家にはミシンが送られたとされている。他、ペリー側から贈られたものは蒸気機関車の4分の1模型電信機銀板写真機、ピストル望遠鏡など約140点[40]。なかには、世界有数の高額本として知られる図鑑アメリカの鳥類』も含まれていた[41]

日本側から贈られたものは、硯箱絹織物漆器陶磁器2振、火縄銃3丁、200俵と300羽を力士に運ばせた[40]

招魂社(靖国神社)の設立

岩倉具視の著述記録のうち「招魂社を建設する事」によれば、1869年に招魂社靖国神社の前身)が設立されたのは、黒船来航以来の殉国者と伏見戦争戊辰戦争)の殉国者をあわせて慰霊するためである。

同文書は「五月十日癸丑以来殉国者の 霊魂を慰し 東山に祠宇を建て 之を合祀せしむ」としており、「五月十日癸丑」は1度目の来航のあった1853年の6月16日にあたる。この慰霊にともない東京府麹町区九段には招魂社が設置され、その境内に日本で初めての西洋式の競馬場が作られた[42]

疑問視される事例

特定の資料によってのみ伝えられるため、日本史の専門家から疑問視されている。

白旗伝説

ペリーは最初の浦賀来航の際に幕府に旗を2本贈っているが、旗の種類および贈った目的は不明である。この件に関して高麗環文書では、「開国か降伏か」を迫る文書を同時に渡したとされる。「2本の旗のうちひとつは白旗であり、降伏の際に用いる旗である」と説明されていたという。ただし同文書に記載された内容は当時の状況と矛盾する点が多く、日本史の専門家からは一部を除き偽書と判断されている。なお、香山栄左衛門と応接した際にサスケハナのフランクリン・ブキャナン艦長は「白旗」について言及しているが、「降伏勧告」については記録にはない。

砲撃戦

ペリーの『日本遠征記』[43]によると、2度の来航で100発以上の空砲を祝砲、礼砲、号砲の名目で撃っており、日本側史料には、事前に日本側にこれらが行われることが伝えられ、さらに市民にもお触れが出ていたにもかかわらず、これが大混乱を巻き起こしたことが記録されているが、いずれも空砲であり被害はない。ところが、来航した「ポーハタン」以下7隻のうち、蒸気船2隻と帆船3隻が安房国(千葉県)洲崎を砲撃したと日本側の古文書にある[要出典]

事件は1854年2月20日(嘉永7年1月23日)丑の下刻、洲崎を警護する備前岡山藩陣地への砲撃であった。艦船の砲弾は陣地の手前10メートルほどの海中に落下した。備前藩は非常召集を行い大砲5門をもって砲撃、蒸気船2隻は逃走したが、帆船3隻に命中した。備前の守備隊は舟艇で帆船への乗船を試み、反撃を受けて300名ほどが死傷したが、3隻を「御取り上げ」(拿捕)した。しかし、この事件は2月27日(旧暦2月1日)の記録を最後に途絶えている。

この日の事件を受けて土佐藩では、1854年2月21日(嘉永7年1月24日)、土佐藩士明神善秀山内容堂より、安芸郡奉行を仰せつけられ、異国船打払令に基づき、異国船打払い御用を仰せつけられている[44]

逸話

アメリカ海軍の戦艦ミズーリ日本の降伏を行う際、左上にある31州旗は、黒船来航時の星条旗である[45]

第二次世界大戦後の1945年、アメリカ合衆国が日本を占領した際、最高司令官のダグラス・マッカーサーはペリーと比較されることがあり、類似点がしばしば指摘される[46]

マッカーサーはペリー提督が4隻の軍艦を率いて日本にやってきたときに旗艦のポーハタンが停泊したのと緯度・経度がまったく同じ場所に停泊させたとされる[47]

なお、降伏前の1941年12月7日(日本時間8日)、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の際に、ホワイトハウスに31州の星条旗を掲げた。これはペリーのように再び日本を開国させるという意味合いである[47]







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