閨閥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 09:37 UTC 版)
ここでは便宜上門閥も含めた広義の閨閥について解説する。
世界的な閨閥
ヨーロッパでは各国の王室や貴族との間の政略結婚が古くから行われており、現在にいたるまで複雑な血縁関係が形成されている。英仏関係に見られる閨閥[4]や英独露三帝閨閥のように、これはしばしば国境を越える。三帝閨閥をホーエンツォレルン家の系図から1親等ずつたどってゆき、最初に戻ってくるように書く。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)、ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)、フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)、ヴィクトリア (ドイツ皇后)、ヴィクトリア (イギリス女王)、エドワード7世 (イギリス王)、アレクサンドラ・オブ・デンマーク、クリスチャン9世 (デンマーク王)、マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)、アレクサンドル3世、アレクサンドル2世、アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)[5]。
アメリカ合衆国では王室や貴族制度がない。そこでまずボストン等で富裕な旧家同士が通婚するようになり、やがて有力政治家とも姻戚関係をもつようになった[注釈 2]。国連の合衆国要人は軍需産業やジャーナリズムと家族関係にあった[6]。
中国・台湾では四大家族が勢力を振るい、現在の国際関係に影響を残した。
日本の場合
摂関政治を筆頭に、古来から皇室を中心にした政略結婚が広く行われている。藤原道長が娘達を次々に皇室に輿入れさせ、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ事はよく知られている。
武家政権が成立してからは、武家同士、あるいは武家と公家との間に政略結婚は広く行われた。前者の場合、勢力の保持、増大が目的であり、後者では勢力の補完に主眼がおかれているといえる。江戸時代には武家と公家との間の婚姻が将軍家、有力大名家と天皇家、宮家、五摂家などの有力公家との間にさかんに行われ、それぞれの影響力の補完が行われた(NHKテレビの大河ドラマでも主人公である主君に対し家臣が「美しき流れにお乗りなさいませ」と進言するシーンがあった。この“美しき流れに乗る”は天皇家に繋がりを持つ事を意味する)。
明治時代に入ると、華族制度が成立した。華族には公家華族、大名華族、勲功華族などあり、それぞれが格式や実力などに強み弱みがあったため、それぞれを補完するための通婚が行われた。華族は皇室の藩屏なので当然、天皇家、宮家を巻き込んだものとなった。また富国強兵、殖産興業の結果現れた資本家や高級官僚も、格式や政治力を得るために華族との通婚を望み、経済的、政策的な支援が期待できることから華族も資本家や高級官僚との婚姻による関係強化を望んだ[7]。
第二次世界大戦後、華族制度こそ廃止されたが、政・財・官の分野で有力な一族の間での通婚は、戦後も盛んに行われ、各々の影響力を保持・強化に努めるようになった[8]。政治の分野では国会議員の世襲が常態化したため、政界の主導による財界、官界、さらには皇室との間の通婚で複雑な血縁関係が形成されるようになった。特に大蔵省では、「高輪会」と呼ばれる、若手官僚と政財官界の要人の令嬢との見合いパーティーが定期的に開催されていたという[9]。省庁内部での閨閥形成もしばしば見られ、高級官僚が自省庁の若手有望株のキャリアに娘を嫁がせ、自身の影響力拡大を図る例がある。
近年では政界・財界・官界のみならず学界や芸能界の有力一族も閨閥を形成しており[注釈 3]、学界・芸能界の一族と政界・財界・官界・旧皇族・旧華族と姻戚関係を結ぶケースもみられる。
中国の場合
開元・天宝の時代は社会に色々の改革のあった時代であるが、それまでの数百年間は大体、閨閥政治の社会だった[10]。江南にあった六朝すべてがそうだったが、華北の社会もその例に漏れず、王朝の興亡と係りなしに、名門貴族はずっとその栄位を保持した[10]。就中、その代表的なものは、隴西李氏、太原王氏、滎陽鄭氏、范陽盧氏、清河崔氏、博陵崔氏、趙郡李氏などの七姓十家であり、北魏、北斉、北周の王室はすべて鮮卑の出自であるから、七姓十家は、北魏、北斉、北周の王室を軽蔑してこれらとたやすく結婚せず、天下の士人もみな七姓十家と婚を通ずることを光栄の至りとする有様で、家門の貴さのおかげで代々みな高位高官を占めた[10]。
注釈
- ^ 政治、経済、官僚組織などはそれぞれの分野に強みや弱みがあり、各々分野に秀でた一族がそれらを補完し合うため行われる。家同士の互助であるから、必然的に有力な家同士の婚姻が成立する。
- ^ アメリカ対日協議会の母体となったニューズウィーク所有者のハリマン家、アスター家、メロン家、モルガン家などは代表的である。
- ^ 学者の閨閥を形成している箕作家は佐藤朝泰著『門閥―旧華族階層の復権』(立風書房、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2)及び小谷野敦著『日本の有名一族―近代エスタブリッシュメントの系図集』(幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6)で取り上げられており、芸能人の閨閥を形成しているマキノ家も小谷野著『日本の有名一族』で取り上げられている。
出典
- ^ 『広辞苑 第四版』、793頁。
- ^ デジタル大辞泉(けい‐ばつ / 閨閥) 小学館 2018年01月01日閲覧
- ^ 『広辞苑 第四版』、2561頁。
- ^ 広瀬隆『赤い楯―ロスチャイルドの謎』 1991年11月 集英社 系図85 イギリス・フランスの歴代首脳と現代大富豪の血族関係
- ^ 吉川弘文館 『標準 世界史年表』
- ^ 広瀬隆『地球のゆくえ』 集英社 1994年7月 系図16 国連に仕組まれたPKO
- ^ 広瀬隆 『持丸長者 日本を動かした怪物たち 幕末・維新編』『持丸長者 国家狂乱編』
- ^ 広瀬隆 『持丸長者 戦後復興篇』
- ^ 「選択」2007年2月号、選択出版
- ^ a b c 田中克己『李太白』(PDF)日本評論社〈東洋思想叢書 第15〉、1944年、25-26頁 。
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