百鬼夜行絵巻 (松井文庫)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 04:51 UTC 版)
尾田淑太郎
『百鬼夜行絵巻』の巻頭と巻末には「尾田淑」と書かれた署名があり、これは尾田淑太郎の修名表記であることから尾田郷澄(おだ ごうちょう)の作であることがわかっている[9]。郷澄は、江戸時代後期の肥後国八代郡の絵師。松井家の御用絵師・甲斐良郷(かい よしさと。1761-1829年[10])に学んだといい、肥後細川家の御用絵師の画系であった矢野派の流れを汲む[11][12]。
制作についての経緯や内容についての由来などは伝来しておらず、古くから(制作当時から)保管されていたことのみが言い伝えられている[13]。松井文庫には、これ以外にもう1本、尾田淑太郎による「百鬼夜行図」は存在するという[14]。
妖怪の一覧
いずれも掲載されているのは名前と絵のみであり、解説文は一切ないため、どのような妖怪を描いたのかについては想像や推測の域を出ない。本作品に収録されている妖怪を掲載順に示すと次のとおりである。
本作品のうち、『百怪図巻』などの系列と考えられる妖怪絵巻で描かれる例がない、おもな妖怪についての画像を列挙する。「手目坊主」は絵巻物には見られない例ではあるが、鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれている「手の目」が参照されていると考えられる。
黒坊は、通常の妖怪絵巻では塗仏という名称で描かれる。このような例は他の図鑑様式の妖怪絵巻にも見られるが、描かれている絵はそれぞれほぼ同じ特徴を備えており、その理由は明確ではない。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 湯本豪一『妖怪あつめ』角川書店、2002年、70頁。
- ^ 八代市立博物館・未来の森ミュージアム 1991, p. 105.
- ^ 湯本 2003, pp. 163-164.
- ^ 八代市立博物館・未来の森ミュージアム 1991, pp. 46, 86.
- ^ a b c 湯本 2006, p. 154.
- ^ 京極・多田 2000, pp. 130-138.
- ^ a b 湯本 2002, p. 70.
- ^ 湯本豪一『かわいい妖怪画』東京美術、2015年、19頁。ISBN 978-4-8087-1005-7。
- ^ 八代市立博物館・未来の森ミュージアム 1991, pp. 105-110.
- ^ 松原洋一[1] (2019年7月21日). “矢野派の再興者・矢野雪叟”. UAG美術家研究所. 2020年1月23日閲覧。
- ^ 八代市立博物館・未来の森ミュージアム 1991, pp. 82-83.
- ^ 谷川 1987, p. 4.
- ^ 湯本 2002, pp. 57-59.
- ^ 八代市立博物館・未来の森ミュージアム 1991, p. 83.
- ^ たばこと塩の博物館 2002, pp. 105-110.
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