特別急行列車
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特急貨物列車
戦前においては、正式な種別としての「特急」ではないが、1927年(昭和2年)12月より、下関発梅小路行きの急行貨物第154列車が運転を開始、同列車は鮮魚を主体とした急送品輸送に特化しており、途中の操車場での増解結を省略して同区間を17時間40分(表定速度34.2km/h)で結び、従来よりも11時間もの大幅な時間短縮を実現したことから「貨物特別急行列車」「鮮魚特急列車」と通称された。正式な種別としての「特急」は、1932年(昭和7年)9月に首都圏内発着の軽量小口貨物の速達化を図るために、短編成のボギー貨車で組成された「特急貨物列車」で、2往復が設定され、途中の操車場での増解結を省略して旅客列車並みの最高速度85km/hで運転された。
戦後、1959年(昭和34年)11月5日より、コンテナ貨車で組成された特別急行貨物列車「たから号」が運転を開始し、最高速度85km/h、汐留・梅田間を10時間55分で結び、表定速度は50.7km/hに達した。これが貨物列車としては戦後最初の「特急」となり、その後も最高速度85km/hの貨物列車に対し「特急貨物列車」の種別が与えられている。1961年(昭和36年)10月より「たから号」は2往復体制となり、1964年(昭和39年)10月時点は特急貨物列車全体で東海道・山陽・鹿児島本線で1日10本、1965年(昭和40年)10月時点では東京~北海道方面にもコンテナ特急貨物列車が1往復設定され、全国で1日27本の特急貨物列車が設定された。
1966年(昭和41年)10月からは、10000系貨車で組成された貨物列車が1日9本の運転を開始、最高速度が100km/hに引き上げられて「高速特別急行貨物列車」の種別が与えられ、最高速度85km/hの「特急貨物列車」との併存となった。1967年(昭和42年)10月時点では自動車輸送に特化した特急貨物列車「アロー号」も設定されるなど、高速特急貨物列車9本、特急貨物列車47本体制となった。
1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では貨物列車の列車種別が整理され、最高速度85km/hの旧「特急貨物列車」は「急行貨物列車」となり、最高速度100km/hの旧「高速特急貨物列車」のみが「特急貨物列車」となり、全国で1日15本体制となった。
1969年(昭和44年)4月より、東京・大阪間で、拠点間を直行し、トラックとの協同一貫輸送を行うコンテナ貨物列車「フレートライナー」が1日5往復設定され、うち1往復が最高速度100km/hの特急貨物列車として運転され、同年10月には1往復増発されている。
1971年(昭和46年)10月より、最高速度95km/h対応で専用の機関車を必要としないコキ50000形コンテナ貨車による「フレートライナー」が設定され、最高速度100km/hの列車を「特急貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「特急貨物列車B」とした。
その後もコンテナ貨物列車の増発は続き、1976年(昭和51年)3月時点では全国に1日129本の特急貨物列車が設定されるに至ったが、その後はオイルショック後の不景気、運賃・料金の大幅値上げ、高速道路網の整備の進捗、「スト権スト」の影響などによる鉄道貨物輸送の大幅な縮減を受け、同年10月には1日121本に削減され、その後も削減傾向は続いた。
1978年(昭和53年)10月ダイヤ改正で、貨物列車の種別が再編され、最高速度100km/hの列車を「高速貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「高速貨物列車B」としたため、「特急貨物列車」の種別は廃止された。
注釈
- ^ 例外ではあるが2015年3月のダイヤ改正時点でも有料特急の所要時間が通勤快速と同等の路線がある(JR 京葉線 特急/東京 18:00 発→蘇我 18:33 着 所要時間 33 分 、通勤快速/東京 18:16 発→蘇我 18:49 着 所要時間 33 分)。また、特急停車駅の「海浜幕張駅」を通勤快速は通過するのも異例である[1]。
- ^ 私鉄では速達列車は料金徴収の有無を問わず優等列車として扱われることもあるが、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なり、京王電鉄のように料金不要列車には速達列車であっても優等列車という表現を用いない事業者もある(優等列車#私鉄も参照)。なお、料金徴収の特急列車が運行されている会社は、料金不要の最速種別は「快速急行」や「急行」となる。
- ^ なお、鉄道ファン1991年12月号のキハ80系・キハ181系の記事によると、当時の時刻表の編成図には、一等車は「ロ」、二等車は「ハ」、食堂車は「シ」と記載されていたため、編成は「ハ・ハ・ハ・シ・ロ・ハ」となり、「はっ、はっ、はっ白歯」と駄洒落めいた表現で編成内容を覚えることができたとされる。
- ^ 電源・荷物車込みとなるため車号番号としては14号車までとなる。
- ^ 「はやぶさ」自体は厳密には20系客車時代にも15両編成にもなったが、1両の長さが標準的なナハネ20形車両では20.5mであるが、1985年当時使用の24系25形で標準となるオハネ25形車両であると21,3mとなることから。
- ^ なお「彗星」の末期は多客時でも6両編成であった。
- ^ なお、「やまびこ」・「つばさ」の東京駅 - 福島駅間の17両編成でも車両の両数上同数となるが、E2系電車・E3系電車とE5系・H5系電車・E6系電車の先頭車両の差により、「はやぶさ」・「こまち」となる。
- ^ 185系15両編成「踊り子」は1981年10月の列車設定当時より2021年3月13日改正まで在来線電車特急列車では最長だった。
- ^ 「みずほ」については「こだま」登場以降だが、運行当初は在来形車両での運行であるためこれに含める。
- ^ 例えば、「あさかぜ」は薄水色、「さくら」は桃色、「はやぶさ」は黄色、「みずほ」は水色で文字が黄色。
- ^ ちなみに行先表示器上では「各駅停車(快速)/相鉄線内特急」表示。
- ^ JRでいう「快速」に相当する。なお、小田急電鉄小田原線内において料金不要の「急行」として走る常磐緩行線も同様の記載があるが、小田急線内準急となる列車には記載がない。
- ^ ただ、当時は名古屋線と大阪線で軌間が異なっていたため、伊勢中川駅での乗り換えを要していた。近鉄において名阪間の直通運転が可能になったのは1959年12月のことである(近鉄特急史も参照のこと)。
出典
- ^ JTBパブリッシング 『JTB時刻表』2015年3月号 京葉線のページを参照。
- ^ 『鉄道旅行案内. 大正5年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道省年報. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『鉄道省年報. 昭和4年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 決戦に備えて旅行を大幅制限(昭和19年3月15日 毎日新聞(東京) 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p783 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 『鉄道省年報. 昭和5年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』p.78
- ^ 『貨物鉄道百三十年史(中巻)』日本貨物鉄道株式会社、平成19年(2007年)6月 平成19年(2007年)。
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- ^ 寺本光照「阪和線 列車運転史」『鉄道ピクトリアル』第728巻、鉄道図書刊行会、2003年2月、51頁。
- ^ PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』2010年7月 p.30 - p.31
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- ^ a b 2019年3月16日(土) 東武東上線ダイヤ改正 東上線に新種別「川越特急」が誕生します (PDF) - 東武鉄道、2019年1月17日
- ^ 『2022年3月12日(土)始発から京王線ダイヤ改正を実施します』(PDF)(プレスリリース)京王電鉄、2022年1月27日 。2022年3月14日閲覧。
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- ^ 週刊『歴史でめぐる鉄道全路線・大手私鉄No.10・京浜急行電鉄』
- ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、55頁。ISBN 978-4107900449。
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- ^ 一例として、ソウルから地方への行き方~鉄道編~ - コネスト
- ^ “路線図|京王グループ”. 京王電鉄. 2017年1月15日閲覧。
- ^ デビット・ベネット (2021年5月3日). “外国人が語る東京の「鉄道表記」難しすぎる問題”. 東洋経済オンライン. 2022年12月10日閲覧。
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