武富敏彦 武富敏彦の概要

武富敏彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 15:29 UTC 版)

経歴

佐賀県佐賀市出身[1]旧制第一高等学校を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[1]1911年(明治44年)にメキシコ公使館外交官補となり、メキシコ公使館三等書記官、フランス大使館三等書記官、外務書記官事務官・通商局第二課長、アメリカ合衆国大使館二等書記官、同一等書記官、サンフランシスコ総領事、1927年(昭和2年)に外務省通商局長となった[1][2]。その後、アメリカ大使館参事官となり、1933年(昭和8年)に駐オランダ公使に就任した[3]。さらに駐トルコ大使となって、1940年(昭和15年)に退官した[4]。戦後、1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙において郷里の佐賀県から改進党公認で立候補したが落選した[5]

親族

  • 武富時敏 - 父。大蔵大臣・逓信大臣・衆議院議員・貴族院議員。
  • 安達峰一郎 - 妻の父。常設国際司法裁判所所長・駐フランス大使・駐ベルギー大使
  • 矢吹省三 - 長女の舅

栄典

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十五年版』日本官界情報社、1940年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。 
先代
斎藤良衛
外務省通商局長
1927年-1932年
次代
来栖三郎

  1. ^ a b c d 大衆人事録 1930.
  2. ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  3. ^ 日本官界名鑑 1940.
  4. ^ 人事興信録 1943.
  5. ^ 『朝日選挙大観』609頁。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。


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