横山剣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 07:08 UTC 版)
プロフィール
生い立ち
神奈川県川崎市の聖マリアンナ病院で生まれる。赤ん坊の頃は本郷町に在住していたが、物心つく頃には本牧に移り[注釈 1]、幼年期を過ごす。母親の離婚・再婚等もあり、小学生時代は日吉付近、中学生時代は横浜ドリームランド付近と、横浜市内を転々と引っ越して過ごす。本牧から日吉へ引っ越した時に幼稚園に入園。実父は茨城県、実母は熊本県八代市出身で[1]、「"ハマッ子"の代表選手みたいにいわれますが、一代遡ればそんなものです」と述べている[1]。
幼少期からジャズやボサノヴァなどの音楽に親しむ一方で、5代目三遊亭圓楽が語るアルバム『円楽のプレイボーイ講座12章(演奏:前田憲男とプレイボーイズ)[注釈 2]』に多大な影響を受ける。
小学2年生の時に、腎炎と自律神経失調症を併発し、駒沢にある国立東京第二病院(現在の国立病院機構東京医療センター)に入院。
初めて買ったレコードは小学2年生の時で、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」[2]。この頃から感覚的に自己流でピアノを弾いて曲を作りはじめ、小学6年生の頃には曲を完成させるほどになった。
チューリップが出演する慶應義塾大学のイベント(神田共立講堂)に足を運んだ際、プログラムにないキャロルが、ポマードべったりの頭に上下革製のライダースで登場し、大きな衝撃を受けた[3][4]。
横浜市立大正中学校時代からバンド活動を始め、16歳からは“横山火呂死(ヒロシ)”と名乗っていた。
音楽活動だけでなく、自転車暴走族『毒ガス』を率いていた事もあり、神奈川県大和市にあったレーシングショップ『ピットローブ』に足しげく通っていた。
中学卒業後は堀越学園高校の一般コースに進むが、2年生の2学期を前に中退。横浜市立港高等学校など、定時制高校を転々としながら[3]、以降はガソリンスタンドの正社員をしながらデモテープを作ってレコード会社に片っ端から持ち込むといった日々を送る。
ロサンゼルスに住んでいる友人のもとに遊びに行ったところ、古着が捨て値で売られていたのでそれらを買い付けし、横浜周辺で古着の商売を始める。その後、原宿に訪れた際にたまたま寄った所がクールス・ロカビリークラブのリーダー佐藤秀光が経営している衣服店『チョッパー』であった。その店のスタッフが「友人の先輩」だったことから、クールス・ロカビリークラブのメンバーの面識を得る。1978年にクールス・ロカビリークラブのローディーになる[3]。また、『チョッパー』の店員になる。
音楽活動開始
1981年にクールスRCのボーカリストになるが、1984年に脱退した。元ラッツ&スターの山崎廣明らと「ダック・テールズ」を結成するが、1年半で事務所から解雇されてしまう。
その後、職業作曲家をしながら昼は貿易会社の社員や輸出貨物の検査官等をする一方で、夜にライブ活動を行なう(この頃のバンド仲間に赤坂泰彦がいる)。1990年に「ZAZOU(ザズー)」結成(後にクレイジーケンバンドで活動を共にする杉山清貴&オメガトライブの元メンバーであった廣石恵一、小野瀬雅生も在籍)。同時期に「MOON DOGS」というバンドに作曲で参加している。1991年には「CK's」を結成。廣石、小野瀬に加え、洞口信也も参加(小野瀬欠席時には新宮虎児がエキストラとして参加)し、ここでクレイジーケンバンドの原型が形作られる。1995年自社レーベル「ダブルジョイレコーズ」を設立(現・代表取締役)[3]。
クレイジーケンバンド
1997年にクレイジーケンバンド(略称CKB)を結成。1998年にアルバム「PUNCH!PUNCH!PUNCH!」でデビュー。テレビやライブ活動を通じて徐々に全国的な人気を博す。
歌の途中で入れる「イーネッ!」という独特のフレーズを持っている。このフレーズは、横山が幼少時によく遊びにいった、彼の叔父の得意なフレーズを元にしている。
横浜市中区出身で、現在も本牧に住み、地元に密着した音楽活動を行っている。横浜市資源循環局のプロジェクト「ヨコハマはG30」(平成22年度のゴミ排出量を平成13年度比30%減を目標にするプロジェクト)のテーマソング「いいね!横浜G30」の作曲を担当(作詞は一般人)。また横浜市立みなと総合高等学校の校歌の作曲を担当(作詞は同校の生徒)、SMAP・TOKIO・ジェロ・和田アキ子・松崎しげるらに楽曲を提供するなど音楽活動に精を出す一方で、雑誌連載などの執筆活動、ラジオDJなども並行して行っている。
基本的に楽曲提供は作詞・作曲ともに行われる(そのバックの演奏をCKBが務める場合も多い)が、1990年代に職業作家としての活動を志向していた時期には作曲のみ提供することが多かった(友人でもある作詞家・山田ひろしとのコンビ作が目立つ。2008年発表のCKBのアルバム「ZERO」収録の「Lookin' your eyes」は、この時期に2人で作っていた作品)。珍しいケースとして、高橋克典に提供した「男の美学」(テレビ朝日系ドラマ『特命係長 只野仁』挿入歌)は作詞のみ(作曲は小久保淳平)である。
また、NHK教育テレビの幼児向け番組・ピタゴラスイッチの「おとうさんスイッチ2」というコーナーに娘とともに出演したことがある。その際、本名の横山正佳でクレジットされた。
2005年「タイガー&ドラゴン」で紅白歌合戦出場を打診されたが辞退している[3]。
注釈
出典
- ^ a b 「横山剣「昭和歌謡イイネ!」」『週刊ポスト』2024年5月17・24日合併号、小学館、72頁。
- ^ “横山剣(クレイジーケンバンド) 100Qインタビュー”. チケットぴあ. 2017年6月3日閲覧。
- ^ a b c d e 「横山剣インタビュー」週刊現代 2013年6月1日 pp.189-196
- ^ #スタンダード、pp.190-194
- ^ “八代亜紀ブルースアルバムにTHE BAWDIES、横山剣、中村中が楽曲提供”. 音楽ナタリー (2015年9月13日). 2015年9月14日閲覧。
- ^ “タッキー&翼、12月にコラボ集第2弾 横山剣・吉田山田・tofubeatsら参加”. ORICON STYLE (2015年10月23日). 2015年10月23日閲覧。
- ^ “横山剣作曲、大西ユカリの新曲が映画「ディアスポリス」テーマソングに”. 音楽ナタリー. (2016年6月14日) 2016年6月14日閲覧。
- ^ ““歌バカ”平井堅のためにマサムネ、卓球、ヤスタカらが楽曲提供”. 音楽ナタリー (2017年5月16日). 2017年7月23日閲覧。
- ^ “クミコ with 風街レビュー、横山剣参加の「フローズン・ダイキリ」メイキング映像が公開”. OKMusic (2017年9月6日). 2022年2月16日閲覧。
- ^ “元町「チャーミングセール」がスタート CMにはクレイジーケンバンドの横山剣さん”. ヨコハマ経済新聞 (2016年2月23日). 2016年2月23日閲覧。
- ^ “CKB横山剣、地元・横浜の企業イメージキャラクターに”. 音楽ナタリー (2015年7月17日). 2015年7月28日閲覧。
- ^ 横山 剣 やりたくないことでも、やると決めたら最後までまっとうする
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