日本山岳会 歴代会長

日本山岳会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 02:59 UTC 版)

歴代会長

1.小島烏水(久太) 《1931年(昭和6年)〜1933年(昭和8年)》

香川県生まれ。号は烏水。横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行入行。銀行勤めの傍ら、登山に親しむ。1902年(明治35年)に槍ヶ岳登頂。日本山岳会創立メンバーの一人。文芸評論家、随筆家、浮世絵コレクターとしても著名。著書に『日本アルプス』『槍ケ岳からの黎明』などがあり、『小島烏水全集』が刊行されている。

2.高頭仁兵衛 《1933年(昭和8年)〜1935年(昭和10年)》

新潟県生まれ。本名は式(しょく)。高頭家は江戸時代から続く豪農で、当主は代々「仁兵衛」を名乗り、式は9代目。日本山岳会創立メンバーの一人。日本山岳会初期の活動を財政面から支え[15]、日本最初の山岳百科事典『日本山嶽志』(1906) を著している。新潟県の弥彦山には高頭仁兵衛の碑があり、毎年7月25日に日本山岳会越後支部によって高頭祭が行われている。

3.木暮理太郎 《1935年(昭和10年)〜1944年(昭和19年)》

群馬県生まれ。東京帝国大学文学部哲学科中退。特に奥秩父の山々をくまなく歩き、「奥秩父の父」と呼ばれる。日本におけるヒマラヤ研究の先駆者でもある[16]。東京市史編纂嘱託。著書に『山の憶ひ出』『登山の今昔』などがあり、『木暮理太郎全集』が刊行されている。

4.槇有恒 《1944年(昭和19年)〜1946年(昭和21年)》

宮城県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中に慶應義塾内に山岳会を設立。1921年(大正10年)アイガー東山稜初登攀に成功。1956年(昭和31年)第3次マナスル隊の隊長として初登頂に成功[17]。著書に『わたしの山旅』『山の心』などがあり、『槇有恒全集』が刊行されている。

5.松方三郎(義三郎) 《1946年(昭和21年)〜1948年(昭和23年)》

東京生まれ。父は第6代内閣総理大臣松方正義京都帝国大学経済学部卒業。ジャーナリストであり、戦後共同通信社専務理事に就任。1922年(大正11年)、槇有恒たちと積雪期の槍ヶ岳初登頂。ヨーロッパ・アルプスにも多くの足跡を残し[18]、1927年(昭和2年)アイガー東山稜を末端より完登。著書に『アルプス記』などがあり、『松方三郎エッセー集』が刊行されている。

6.武田久吉 《1948年(昭和23年)〜1951年(昭和26年)》

東京生まれ。東京外国語学校、イギリス王立理工科大学植物学科卒業。父は幕末に活躍したイギリスの外交官アーネスト・サトウ。植物学者でもあり、京都帝国大学北海道帝国大学九州帝国大学などで講師を務めた。日本山岳会創立メンバーの一人。日本における高山植物研究の先駆者で、尾瀬の自然保護に努めたことでも知られる[19]。著書に『尾瀬と鬼怒沼』『登山と植物』など。

7.槇有恒 《1951年(昭和26年)〜1955年(昭和30年)》

8.別宮貞俊(べっく さだとし) 《1955年(昭和30年)〜1958年(昭和33年)》

東京生まれ。東京帝国大学工科大学電気工学科卒業。逓信省電気試験所技師などを経て、東京工業大学教授に就任。後に実業界に入り、住友電工初代社長、大阪レントゲン製作所会長などを務める。1924年(大正13年)から翌年にかけて逓信事業の研究を目的にヨーロッパにおもむき、アルプスの山々に登る[20]

9.日高信六郎 《1958年(昭和33年)〜1962年(昭和37年)》

神奈川県生まれ。東京帝国大学法学部卒業後、外務省入省。上海日本大使館参事官、上海総領事、イタリア大使などを歴任。1921年(大正10年)夏、日本人として初めてモンブランに登頂。戦後、外務省研修所長などを務める。著書に『朝の山 残照の山』、編著に『ネパール・ヒマラヤ探検記録』など。

10.松方三郎(義三郎) 《1962年(昭和37年)〜1968年(昭和43年)》

11.三田幸夫 《1968年(昭和43年)〜1973年(昭和48年)》

神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。同大山岳部で、槇有恒らと活躍。岩井産業シンガポール支店長などを経て三和興業常務。1925年(大正14年)、槇有恒らとカナディアン・ロッキーアルバータ山に初登頂。1953年(昭和28年)第1次マナスル遠征隊長を務めた。著書に『わが登高行』『山なみはるかに』など。

12.今西錦司 《1973年(昭和48年)〜1977年(昭和52年)》

京都府生まれ。京都帝国大学農学部卒業。文化人類学者・生態学者として名高く、特に「棲み分け理論」は有名。日本における霊長類研究の基礎を築き、「自然学」の提唱者としても知られる。少年のころから山に親しみ、剱岳源次郎尾根や三ノ窓チンネを初登攀。生涯に登った日本の山は1552座に及ぶ。1942年(昭和17年)大興安嶺への探検隊で隊長。ほかにも多くの探検隊・調査隊で隊長となった。著書に『山と探検』『自然と山と』などがあり、『今西錦司全集』が刊行されている。

13.西堀栄三郎 《1977年(昭和52年)〜1981年(昭和56年)》

京都府生まれ。京都帝国大学理学部卒業。京大助教授から東京電気(現:東芝)に移り、技術者として活躍。戦後、京大に戻り助教授を経て教授。第1次南極観測隊(南極地域観測隊)の副隊長兼越冬隊長。登山活動でも活躍し、1980年(昭和55年)チョモランマ登山隊総隊長。「雪山讃歌」の作詞者でもある。著書に『南極越冬記』『石橋を叩けば渡れない』などがあり、『西堀栄三郎選集』が刊行されている

14.佐々保雄(ささ やすお) 《1981年(昭和56年)〜1985年(昭和60年)》

北海道生まれ。東京帝国大学理学部卒業。北海道大学教授、日本写真測量学会会長などを歴任。日高山脈氷河地形の研究や地下資源の開発調査に取り組み、青函トンネル建設にあたっては予備調査の段階から従事。著書は地質に関する専門書が多数

15.今西壽雄(いまにし としお) 《1985年(昭和60年)〜1989年(平成元年)》

奈良県生まれ。京都帝国大学農学部卒業。1956年(1981年)、日本山岳会第3次マナスル登山隊に参加し、初登頂。建設会社今西組の第三代社長に就任し、大阪万国博覧会でネパール館を建設。1988年(昭和63年)、日・中・ネパール友好登山隊の日本隊の総隊長を務め、交差縦走を成功に導く

16.山田二郎 《1989年(平成元年)〜1993年(平成5年)》

慶應義塾大学経済学部卒業。ヒマラヤ遠征は5回を数える。1992年(平成4年)、日中ナムチャバルワ合同登山隊の日本側総隊長として、初登頂を成功に導く。著書に『登頂ヒマルチュリ』など。

17.藤平正夫 《1993年(平成5年)〜1995年(平成7年)》

富山県生まれ。京都帝国大学卒業。北陸銀行専務などを務める。1958年(昭和33年)、京大学士山岳会遠征隊のメンバーとして、チョゴリザ初登頂に成功。著書に『今は風に語らしめよ 剣・アンナプルナチョゴリザ』『登山と人生』(述)など。

18.村木潤次郎 《1995年(平成7年)〜1997年(平成9年)》

大阪生まれ。早稲田大学理工学部卒業。理学博士。早大鋳物研究所所員の後、新日本製鐵勤務を経て、理学電機常務取締役、ドッドウエル ビー・エム・エス社長などを歴任。1953年(昭和28年)〜56(昭和31)年、日本山岳会が組織した1次から3次のマナスル登山隊に参加。1959年(昭和34年)、ヒマルチェリ登山隊で隊長を務める。1991年(平成3年)には、ナムチャバルワ登山隊副総隊長。著書に『ヒマルチュリ 雪原と氷壁の山』『雪男探検記』(訳)など

19.齋藤惇生(さいとう あつお) 《1997年(平成9年)〜1999年(平成11年)》

熊本県生まれ。京都大学医学部卒業。外科医。新河端病院名誉院長。1962年(昭和37年)サルトロ・カンリ初登頂、1990年(平成2年)シシャパンマ峰登頂。編著に『北アルプス大日岳の事故と事件』。

20.大塚博美 《1999年(平成11年)〜2003年(平成15年)》

明治大学卒業。1970年(昭和45年)、日本山岳会エベレスト登山隊で登攀隊長として参加、松浦輝夫植村直己の2人を日本人として初登頂に導く。著書に『マナスル登山記』(共著)など

21.平山善吉 《2003年(平成15年)〜2007年(平成19年)》

千葉県生まれ。日本大学工学部卒業。日本大学教授、のちに名誉教授。工学博士。第1次南極観測隊(南極地域観測隊)に最年少隊員として参加。第2、第3次南極観測隊(南極地域観測隊)にも加わる。昭和基地の設計と建設で大きな役割を果たす。1995年(平成7年)、日大エベレスト登山隊総隊長を務め、未踏ルートからの登頂に挑戦し成功。著書に『エベレスト遙かなり』『南極・越冬記』など

22.宮下秀樹 《2007年(平成19年)〜2009年(平成21年)》

慶應義塾大学法学部卒業。1959年(昭和34年)、日本山岳会第2次エベレスト南壁偵察隊隊長。1980年(昭和55年)、日本山岳会チョモランマ登山隊北壁隊長として参加、初登頂に導く。

23.尾上昇 《2009年(平成21年)〜2013年(平成25年)》

愛知県生まれ。日本大学理工学部卒業。OMC株式会社代表取締役。日本食品機械工業会会長。1966年(昭和41年)、グリーンランド3000メートル峰に世界で2番目に登頂。東海支部長時代にヒマラヤ遠征を成功に導くなど多くの実績を上げる。

24.森武昭 《2013年(平成25年)〜2015年(平成27年)》

芝浦工業大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。神奈川工科大学副学長・理事・創造工学部教授。工学博士(昭和55年 京都大学)1995年(平成7年)、日本学術振興会第31回秩父宮記念学術賞受賞。国立極地研究所運営会議委員・南極観測委員会副委員長・機会部会主査、相模原市環境審議会委員、日本山岳文化学会理事、NPO法人「富士山測候所を活用する会」理事、全国小水力利用推進協議会理事

25.小林政志 《2015年(平成27年)〜2019年(平成31年)》

東京都生まれ。中央大学経済部卒業。1972年(昭和 47年)、中央大学アピ登山隊としてアピ登頂。1976年(昭和 51年)、日本山岳会登隊としてナンダデヴィ縦走。1984年(昭和 59年)、日本山岳会登隊としてカンチェンジュンガ縦走。

26.古野淳《2019年(平成31年)〜2023年(令和5年)》

福岡県生まれ。日本大学文理学部地理学科卒業。1986年(昭和61年)、日本大学ヒマルチュリ登山隊南稜より初登攀。1981年(昭和56年)3 月、黒部横断鹿島槍ヶ岳~剱岳。1982年(昭和57年)3 月、知床半島全山スキー縦走。1982年(昭和57年)12 月、北鎌尾根~西穂高岳縦走。1983年(昭和58年)3 月、 北海道中央高地全山スキー縦走。1995年(平成7年)、 日本大学エベレスト登山隊北東稜より初登攀。朝日スポーツ賞受賞。

27.橋本しをり《2023年(令和5年)〜》

東京女子医大山岳部OG、1997年(平成9年)から同部監督。女子登攀クラブ。日本山岳ガイド協会監事。日本登山医学会理事第一副会長。1983年(昭和58年)ブータン・ジチュダケ、1986年(昭和61年)天山・トム―ル、1987年(昭和62年)ペルー・ピスコ、トクラヤフなど登攀。2002年(平成14年)日中友好チョー・オユー女子合同登山隊隊長、2005年(平成17年)日中友好チョモランマ女子合同医学登山隊隊長。沢田はしもと内科院長。

  1. ^ 施設”. 日本山岳会. 2018年1月21日閲覧。
  2. ^ 役員”. 日本山岳会. 2018年1月21日閲覧。
  3. ^ 約款 (PDF) 第2章「目的及び事業」より。
  4. ^ a b [平成28年度決算報告] (PDF) 日本山岳会
  5. ^ 公益社団法人日本山岳会 支部
  6. ^ 水野勉「日本山岳会の百年」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)所収、『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005)、pp.74-77
  7. ^ 「カラーページ掲載資料説明『日本山岳会の設立場所』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.60-61
  8. ^ 会員数は「創期会員名簿」による。「創期会員名簿」は1905年(明治38年)10月の山岳会創立から1906年(明治39年)末までの入会者を登載。総数393名だが重複して掲載されている者が3名いる。南川金一「『創期会員名簿』に見る創立期間もない山岳会」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)所収、「日本山岳会『創期会員名簿』登載者」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  9. ^ 『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005)、pp.78-79
  10. ^ 『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005)、pp.96-97
  11. ^ 「山頂に残した記念のピッケル」『東京日日新聞』1925年8月9日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp.661-662 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  12. ^ 発起人のメンバーは、小島烏水、城数馬、高野鷹蔵、高頭仁兵衛武田久吉、梅沢親光、河田黙の7名。
  13. ^ a b 日本山岳会の歩み 社団法人日本山岳会、2011年2月9日閲覧。
  14. ^ 『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版、2005年)
  15. ^ 「人物コラム『高頭仁兵衛(式、義明)』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.150-151
  16. ^ 「人物コラム『木暮理太郎』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.298-299
  17. ^ 「人物コラム『槇有恒』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.306-307
  18. ^ 「人物コラム『松方三郎』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.322-323
  19. ^ 「人物コラム『武田久吉』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.154-155
  20. ^ 「人物コラム『別宮貞俊』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.332-333
  21. ^ 日本山岳会自然保護委員会
  22. ^ 日本山岳会科学委員会
  23. ^ 日本山岳会医療委員会
  24. ^ 日本山岳会YOUTH CLUB
  25. ^ 日本山岳会高尾の森づくりの会
  26. ^ 日本山岳会秩父宮記念山岳賞
  27. ^ 日本山岳会海外登山助成金
  28. ^ ヤマテンホームページ
  29. ^ 日本山岳会雪山天気予報
  30. ^ 日本山岳会登山道調査
  31. ^ 『日本登山史年表』山と渓谷社編『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005年)、「日本山岳会百年史年表」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  32. ^ 「 日本山岳会百年史年表」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)では初登頂、「日本人による海外登山史年表」 山と渓谷社編『目で見る日本登山史 日本登山史年表』(山と渓谷社、2005年)では第2登としている
  33. ^ 「日本人による海外登山史年表」山と渓谷社編『目で見る日本登山史 日本登山史年表』(山と渓谷社、2005年)所収、「日本山岳会百年史年表」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  34. ^ 「日本山岳会『創期会員名簿』登載者」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  35. ^ 「創期会員以降10年ほどの間に入会した異色会員」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  36. ^ a b 「ナイロンザイル事件関係年表」石岡繁雄、相田武男『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(あるむ、2007年)所収
  37. ^ ナイロンザイル事件を法律的側面から考察したものとして、溝手康史『ナイロンザイル事件が提起したもの』(『岳人』2012年5月号)所収
  38. ^ 「『1977年版山日記』に掲載されたお詫びの全文」石岡繁雄、相田武男『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(あるむ、2007年)所収
  39. ^ 日本山岳会岐阜支部講演会記録「ナイロンザイル事件」(講師尾上昇)





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