日本山岳会 施設

日本山岳会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 02:59 UTC 版)

施設

  • 日本山岳会図書室(東京都千代田区)
日本山岳会本部に併設され、蔵書数は1万5000冊余り。蔵書の多くは会員からの寄贈によるもので、貴重な図書や私家版も少なくない。受入図書は会報「山」で毎月報告される。
  • 上高地山岳研究所(長野県松本市安曇上高地)
略称「山研」。地下1階、地上2階、延床面積246m2(74.5坪)。山岳に関する研究会、講習会などが行われる。また、会員およびその家族、関係者・海外山岳団体などが宿泊利用できる。

発行物

定期刊行物

  • 会報「山」(月刊)
編集は日本山岳会会報編集委員会。内外の山岳情報・論文、各委員会の活動報告、会員間の交流、会員通信、図書紹介などを掲載。毎月20日発行。会報の創刊は1930年(昭和5年)10月。戦後第1号〈1946年(昭和21年)4月〉通算133号から「山」という誌名となった。
  • 『山岳』(年刊)
編集は日本山岳会山岳編集委員会。機関誌として会の動向、山岳関連の論文、図書紹介、追悼記事などを掲載。年1回発行。創刊は1906年(明治39年)4月。
  • “Japanese Alpine News”
編集は日本山岳会英文ジャーナル委員会。日本および海外の価値ある登山記録を英文で海外に発信。年1回発行。

日本山岳会編集の主な書籍

  • 『新日本山岳誌』 編集:日本山岳会/発行:ナカニシヤ出版/2005年11月15日
全国4000山の情報を網羅。
  • 『写真で見る日本山岳会の100年』 編集:日本山岳会資料映像委員会/発行:日本山岳会/2005年10月15日
日本山岳会の歴史を写真とともに記録した小冊子。
  • 『日本列島 中央分水嶺踏査報告書』 編集:日本山岳会中央分水嶺踏査委員会/発行:日本山岳会/2007年1月30日
創立100周年記念事業のひとつとして行われた、日本列島の中央分水嶺約5,000km踏査の報告書。全行程のデータをCDに収録
  • 『日本山岳会百年史』〈本編〉〈続編・資料編〉 編集:日本山岳会百年史編纂委員会/発行:日本山岳会/2007年3月30日
日本山岳会の100年を論文形式でたどる「本編」と「続編」、百年史年表や歴代役員、歴代支部長などを収めた「資料編」からなる。
  • 『愛知県の山』新・分県登山ガイド No.22 日本山岳会東海支部 著/発行:山と溪谷社/2006年11月/改訂版2010年3月
  • 『東海・北陸の200秀山』 上・下巻 日本山岳会東海支部 編/発行:中日新聞社/2009年10月
  • 『山の救急医療ハンドブック』 日本山岳会医療委員会 著/発行:山と溪谷社/2005年7月
  • 『山は知っている?環太平洋一周環境調査登山の記録』 日本山岳会東海支部 編著/発行:マック出版/1998年5月
  • 『名古屋周辺山旅徹底ガイド?台高・鈴鹿・奥美濃』 日本山岳会東海支部 編/発行:中日新聞本社/1995年12月
  • 『名古屋周辺山旅徹底ガイド(続)?裏木曽・東濃・奥三河』 日本山岳会東海支部 編/発行:中日新聞本社/1996年3月
  • 『山城三十山』 日本山岳会京都支部 編著/発行:ナカニシヤ出版/ 1994年11月
  • 『名古屋からの山なみ』 日本山岳会東海支部 編/発行:中日新聞本社/1991年6月/改訂版1994年11月

このほかメールマガジン「日本山岳会だより」(不定期)があり、各支部でも支部報・周年記念誌を発行している。

ナイロンザイル事件

1955年(昭和30年)1月2日、三重県鈴鹿市の山岳会である岩稜会メンバー3人が前穂高岳東壁で登攀中に、新品のナイロンザイルが切断し、墜死者が出る事故が発生した。さらに、この事故に前後して2件のナイロンザイル切断による事故が発生しており、ナイロン製ザイルに対して強度・安全面からの不安が持たれることになった。

当時出回り始めたナイロン製ザイルは、従来の麻製ザイルに比べ強度面で数倍し取り回しも容易であるとしてメーカーが普及を進めており、ザイルの製造メーカーの東京製綱は、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治の指導を仰ぎ、同年4月29日東京製綱蒲郡工場(愛知県蒲郡市)において、山岳関係者・新聞記者らの集まった中で原因究明のための公開実験が行われた。

前穂高岳東壁の事故で死亡した犠牲者の実兄である石岡繁雄は、個人的に行った実験で、ナイロンザイルは岩壁登攀時には鋭角の岩角に掛かると人間の体重程度の重量で簡単に切断することを突き止めており、篠田も、研究室での実験を行いこの結論を肯定していた。しかし篠田は、実験前に岩角に丸みをつけるなどして誤ったデータが出るように細工し、結果、ナイロン製ザイルは麻製ザイルに比べて数倍の強度を持つ、という誤りの結果が得られ、そのように報道がなされた。

日本山岳会は『1956年版 山日記』にも、蒲郡での公開実験のデータを基にしたナイロン製ザイルの強度に関する篠田の記述を掲載し、さらに、岩稜会は登攀者の技量未熟をナイロンザイルによるものとしている、と主張した。

この件は作家の井上靖によって朝日新聞に連載された『氷壁』によって世に広く知られることになった。この間、石岡および岩稜会は、篠田、メーカー、日本山岳会の理事会に対し、誤りを正し、問題の所在を明らかにしてナイロンザイルの限界性を明示すべきであると公開質問状などで訴えたが、納得のいく回答は得られなかった[36]

その後もナイロン製のザイルが切断する登山事故は相次ぎ、1973年(昭和48年)6月、岩稜会の長年にわたる主張が認められ、「消費生活用製品安全法」が制定されて登山用ロープ(ザイル)は同法の対象となった。同法に基づき、1975年(昭和50年)6月には登山用ロープの安全基準が官報で公布され、日本において世界で初めてのザイルの安全基準が制定された。これによって、問題とされた8ミリナイロンザイルは二重にして使用しても登山用としては認められないものとなった[37]

安全基準の実施後、日本山岳会は『1977年版 山日記』に『1956年版 山日記』で「登山用ロープについて編集上不行届があった。そのため迷惑をうけた方々に対し、深く遺憾の意を表する」[38] として、21年ぶりに実質的に訂正となる「お詫び」を掲載した。

その後の1989年(平成元年)、日本山岳会の当時の理事会は篠田を名誉会員推薦を決定、石岡は石原國利(ナイロンザイル事故時の岩稜会メンバー)とともに篠田の名誉会員撤回要望書を提出している[36]。翌年2月、理事会は篠田の名誉会員の取り消しは不可能と決定した。この間、日本山岳会東海支部は支部長名で篠田の名誉会員推薦について理事会に対して再審議を申し立てているが、決定は覆らなかった[39]


  1. ^ 施設”. 日本山岳会. 2018年1月21日閲覧。
  2. ^ 役員”. 日本山岳会. 2018年1月21日閲覧。
  3. ^ 約款 (PDF) 第2章「目的及び事業」より。
  4. ^ a b [平成28年度決算報告] (PDF) 日本山岳会
  5. ^ 公益社団法人日本山岳会 支部
  6. ^ 水野勉「日本山岳会の百年」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)所収、『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005)、pp.74-77
  7. ^ 「カラーページ掲載資料説明『日本山岳会の設立場所』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.60-61
  8. ^ 会員数は「創期会員名簿」による。「創期会員名簿」は1905年(明治38年)10月の山岳会創立から1906年(明治39年)末までの入会者を登載。総数393名だが重複して掲載されている者が3名いる。南川金一「『創期会員名簿』に見る創立期間もない山岳会」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)所収、「日本山岳会『創期会員名簿』登載者」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  9. ^ 『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005)、pp.78-79
  10. ^ 『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005)、pp.96-97
  11. ^ 「山頂に残した記念のピッケル」『東京日日新聞』1925年8月9日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp.661-662 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  12. ^ 発起人のメンバーは、小島烏水、城数馬、高野鷹蔵、高頭仁兵衛武田久吉、梅沢親光、河田黙の7名。
  13. ^ a b 日本山岳会の歩み 社団法人日本山岳会、2011年2月9日閲覧。
  14. ^ 『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版、2005年)
  15. ^ 「人物コラム『高頭仁兵衛(式、義明)』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.150-151
  16. ^ 「人物コラム『木暮理太郎』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.298-299
  17. ^ 「人物コラム『槇有恒』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.306-307
  18. ^ 「人物コラム『松方三郎』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.322-323
  19. ^ 「人物コラム『武田久吉』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.154-155
  20. ^ 「人物コラム『別宮貞俊』」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(本編)(日本山岳会、2007)、pp.332-333
  21. ^ 日本山岳会自然保護委員会
  22. ^ 日本山岳会科学委員会
  23. ^ 日本山岳会医療委員会
  24. ^ 日本山岳会YOUTH CLUB
  25. ^ 日本山岳会高尾の森づくりの会
  26. ^ 日本山岳会秩父宮記念山岳賞
  27. ^ 日本山岳会海外登山助成金
  28. ^ ヤマテンホームページ
  29. ^ 日本山岳会雪山天気予報
  30. ^ 日本山岳会登山道調査
  31. ^ 『日本登山史年表』山と渓谷社編『目で見る日本登山史』(山と渓谷社、2005年)、「日本山岳会百年史年表」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  32. ^ 「 日本山岳会百年史年表」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)では初登頂、「日本人による海外登山史年表」 山と渓谷社編『目で見る日本登山史 日本登山史年表』(山と渓谷社、2005年)では第2登としている
  33. ^ 「日本人による海外登山史年表」山と渓谷社編『目で見る日本登山史 日本登山史年表』(山と渓谷社、2005年)所収、「日本山岳会百年史年表」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  34. ^ 「日本山岳会『創期会員名簿』登載者」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  35. ^ 「創期会員以降10年ほどの間に入会した異色会員」日本山岳会百年史編纂委員会編『日本山岳会百年史』(続編・資料編)(日本山岳会、2007)所収
  36. ^ a b 「ナイロンザイル事件関係年表」石岡繁雄、相田武男『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(あるむ、2007年)所収
  37. ^ ナイロンザイル事件を法律的側面から考察したものとして、溝手康史『ナイロンザイル事件が提起したもの』(『岳人』2012年5月号)所収
  38. ^ 「『1977年版山日記』に掲載されたお詫びの全文」石岡繁雄、相田武男『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(あるむ、2007年)所収
  39. ^ 日本山岳会岐阜支部講演会記録「ナイロンザイル事件」(講師尾上昇)





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