日本大学第二中学校・高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 14:45 UTC 版)
沿革
日本大学『日本大学百年史』第2巻 p.345 - 349、第3巻 p.586 - 589の一部による。
- 1926年 - 校舎建築開始。
- 1927年 - 旧制・日本大学第二中学校開校。
- 1928年 - 旧制・日本大学第二商業学校(夜間4年制の甲種実業学校)開校。銀杏並木を植樹。
- 1932年 - 日大二商に昼間5年制の第一本科(甲種実業学校)を開設。従来の夜間部は第二本科に改称。 戦前の日大組織内では、二中と二商は「第二普通部」としてまとめられていた。
- 1944年 - 戦時統制により商業学校の募集を停止、日本大学第二工業学校に転換(翌年商業学校に復帰)。
- 1946年 - 日大から経営部門を分離する形で、財団法人日本第二学園が設立。日大二中は日本第二中学校、日大二商は日本第二商業学校に改称。
- 1947年 - 学制改革により新制・日本第二中学校が開校。
- 1948年 - 学制改革により新制・日本大学第二高等学校が開校。旧制・日大二商第二本科は新制高校の夜間4年制として継続。新制中学校も日本大学第二中学校に改称。
- 1949年 - 近隣にあった敷島女子中・高を吸収合併し、中高の女子部に改組。学園歌発表。校訓三則、色別学年章制定。
- 1950年 - 私立学校法に基づき学校法人日本第二学園に改組。
- 1953年 - 木造2階建て女子部校舎完成(現在の武道館の場所)。
- 1955年 - 体育祭で二高音頭が始まる。現在も高3の最後の締めくくりとして行われている。
- 1956年 - 西館鉄筋校舎完成。陸上競技部高校総体全国優勝。
- 1959年 - 野球部甲子園春夏連続出場。また、秋の国体初優勝。
- 1961年 - 本館男子部鉄筋校舎完成。
- 1963年 - 新制高校夜間4年制閉校。立川グラウンド造成。主に、野球部、ラグビー部が利用。
- 1964年 - 女子部鉄筋校舎完成。庭園を造成。荻窪の都電が廃止になり、線路の敷石が銀杏並木の並木道に移設された。この敷石は、2007年現在も南門側に現存している。
- 1966年 - 水泳プール(25m×9コース)、図書館棟(食堂1階、図書室2階、視聴覚室3階)、講堂兼体育館・地下体育館完成。
- 1969年 - 長野県志賀高原寮完成。
- 1973年 - 第一中・高、第三中・高と共に、「特別付属校」としての地位を確立する。
- 1976年 - 芸術校舎完成。
- 1982年 - 硬式野球部、夏の甲子園大会に出場(4年ぶり4回目)。
- 1983年 - 中学校舎完成。
- 1985年 - 理科校舎完成。1Fが生物、2Fが物理、3Fが化学、それぞれの実験室となっている。
- 1986年 - 武道館完成。 1Fが剣道場・トレーニングルーム、2Fが柔道場となっている。
- 1996年 - 中学部共学化に伴い、中学女子募集再開。創立70周年。
- 1997年 - 本館・新校舎完成。高校一斉に共学化。
- 2000年 - 卒業生総数35,753名。法人名を学校法人日本大学第二学園に変更。
- 2001年 - 21世紀初めの同窓生の集い21年ぶりに二高で開催。卒業生総数36,266名に。
- 2006年 - 創立80周年。
- 2007年 - 夏休みを利用して中校舎、体育館、図書館棟などを耐震補強工事、グリーンロード建設。その間、周辺の小学校などの協力を得て部活動などを行った。
- 2008年 - 立川グランドに、新棟完成。主に、硬式野球部・ラグビー部使用
- 2009年 - 硬式野球部は夏の西東京大会決勝で兄弟校・日大三高と対戦、準優勝となり27年ぶりの甲子園出場を逃す。
- 2014年 - 校庭が人工芝化される。
- 2015年 - 新中学校舎と新図書館が完成。
- 2016年 - 創立90周年。
- ^ “進路状況 | 日本大学第二中学校・高等学校”. www.nichidai2.ac.jp. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “校舎・施設 | 日本大学第二中学校・高等学校”. www.nichidai2.ac.jp. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “立川グラウンド道順案内”. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “硬式野球部 | 日本大学第二中学校・高等学校”. www.nichidai2.ac.jp. 2023年7月21日閲覧。
固有名詞の分類
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