徳川慶朝 徳川慶朝の概要

徳川慶朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 01:26 UTC 版)

德川 慶朝
本名 德川 慶朝
国籍 日本
出身地 静岡県
生年月日 (1950-02-01) 1950年2月1日
没年月日 (2017-09-25) 2017年9月25日(67歳没)
言語 日本語
最終学歴 成城大学経済学部
活動時期 1972年 - 2017年
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経歴

1950年(昭和25年)、元公爵徳川慶喜家第3代当主・徳川慶光を父として、会津松平家出身の徳川和子を母として静岡市郊外の瀬名に生まれ、生後1〜2か月で東京都港区高輪に転居。

1972年(昭和47年)に成城大学経済学部を卒業し[2]カメラマンとして本田技研工業グループ傘下の広告制作会社東京グラフィックデザイナーズに20年間勤務し、広告写真の分野で活躍。独立後はフリーの写真家として主に徳川家伝来の遺跡や歴史的建造物を中心に撮影していた。

東京グラフィックデザイナーズのカメラマンとして勤務していた頃は主に自動車バイクなどを撮影していたが、フリーで活動を開始してからは徳川慶喜家に秘蔵していた写真を再発見し、修正から保存・整理も行っていたことでも知られる。この中には慶喜自身が撮影した写真も含まれているという。

1972年(昭和47年)9月から東京都町田市すずかけ台に住んでいたが[3]、晩年は水戸徳川家ゆかりの茨城県ひたちなか市に居住した[1]

曾祖父・慶喜が「けいき」、祖父・慶久が「けいきゅう」、父・慶光が「けいこう」と音読みされていたことにあやかって、「けいちょう」というニックネームで呼ばれていた。

伯母は昭和天皇の弟・高松宮宣仁親王の妃である喜久子。幼少時はよく宮邸に呼ばれ、可愛がられたという。

昭和50年代に結婚歴があったが、離婚後は独身で養子を取らないことを明言していた[4]。元妻は長岡祥三[5]の娘。元妻との間に2男1女をもうけた。

  • 長男:長岡慶敬(1981年7月29日生[6]
  • 長女:敦子(1984年4月3日生[6]
  • 次男:長岡慶弘(長岡祥三養子[6]

離婚に際し3人とも元妻が引き取り、徳川姓ではない。このため、慶朝の死去によって徳川慶喜家は断絶したが、慶喜の直系子孫は存続している。次男は母の実家(長岡家)を相続した。

2003年(平成15年)コーヒー好きだったため徳川慶喜が飲んだであろうコーヒー豆を再現し、自ら焙煎し"将軍珈琲"の名で販売していた[7]

静岡文化芸術大学非常勤講師を務めた。

を患っていたと言われるが[8]、2017年(平成29年)9月25日に、心筋梗塞により茨城県水戸市の病院で死去[9][10][1]。67歳没。

系譜

徳川慶朝 父:
徳川慶光
祖父:
徳川慶久
曾祖父:
徳川慶喜
曾祖母:
新村信
祖母:
實枝子女王
曾祖父:
威仁親王有栖川宮
曾祖母:
慰子
母:
徳川和子 (作家)
祖父:
松平保男
曾祖父:
松平容保
曾祖母:
田代佐久
祖母:
松平進子
曾祖父:
水野忠敬
曾祖母:
松平鍈子

  1. ^ a b c “徳川慶朝さん死去 67歳 写真家、将軍慶喜のひ孫”. 茨城新聞クロスアイ. 茨城新聞社. (2017年9月26日). http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15063497571525 2017年9月26日閲覧。 ウェブアーカイブ、2023年3月24日閲覧。
  2. ^ 本田靖春『現代家系論』p.204(文藝春秋社1973年
  3. ^ 本田靖春『現代家系論』p.201(文藝春秋社1973年
  4. ^ 高松宮妃喜久子『菊と葵のものがたり』中央公論社
  5. ^ 1926年-2008年、アーネスト・サトウなどの幕末明治期の英文史料の翻訳を多く行った。
  6. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 下』p156
  7. ^ 徳川将軍珈琲 サザコーヒー
  8. ^ 『お殿様は「今」』加藤明著、洋泉社ISBN 978-4800309235
  9. ^ 徳川慶喜のひ孫、写真家の徳川慶朝さん死去 67歳”. 朝日新聞デジタル (2017年9月26日). 2020年12月25日閲覧。
  10. ^ 写真家・徳川慶朝さん死去 15代将軍慶喜のひ孫”. 西日本新聞ニュース (2017年9月27日). 2020年12月15日閲覧。


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