山階芳麿 血縁

山階芳麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 13:16 UTC 版)

血縁

寿賀子夫人との間に子供は無く、妹・安子女王と侯爵浅野長武との次男(芳麿からすれば甥)の山階芳正(旧名:浅野茂松、1927年2012年)を1947年(昭和22年)、養子に迎えた(1961年離籍し浅野姓に戻るが、1989年、芳麿の死去に伴い山階姓に復籍)。その長男・浅野茂正(1964年~)も1989年(平成元年)、父とともに山階姓となる。 鳥類学者の黒田長久は義理の従兄弟にあたる。

山階鳥類研究所

1931年昭和6年)秋:山階侯爵邸内に山階鳥類研究所の前身である山階家鳥類標本館(東京府豊多摩郡渋谷町上渋谷(現在の東京都渋谷区南平台))を私費を投じて建設着工する。冷暖房がない時代であったので、2階の標本室が外の気温に直接影響されないよう、天井を2層にした(このため、東京大空襲の際も標本は無事であった)。

1932年昭和7年)春:山階家鳥類標本館の完成(建設費は当時の金額で5万円)。鉄筋コンクリート2階建て126坪(416平方メートル)で、1階が研究室と図書室、2階が標本室。完工後、約1年間湿気を抜いた。

アジア・太平洋地域の鳥類標本収集を開始し、1933年昭和8年)5月に山階家鳥類標本館開所式を行なった。春から標本類などを運び込む。山階家鳥類標本館の体制は、芳麿 館長(格)で、研究員には北大出身の山田信夫、飼育担当は妻の寿賀子と佐藤勇吉、佐久間英松の3人、標本・図書管理が日和三徳、標本採集のための嘱託が折居彪二郎であった。1942年(昭和17年)文部省から財団法人としての認可を得て、財団法人山階鳥類研究所を設立した。今日においても鳥類研究の機関として運営されている。

1945年昭和20年)3月10日、この日の空襲を含む「東京大空襲」において焼夷弾の直撃を10発うけるが2重の天井のため、炎上しなかった。ただし、天井にひびが入り、雨漏りがするようになった。1966年昭和41年)、戦災のため雨漏りがするようになった2階を補修するため、天井の上に1階を継ぎ足し、3階建とした。

1984年(昭和59)年12月、渋谷南平台の敷地を売却し、千葉県我孫子市高野山に新築移転。1986年(昭和61年)、礼宮文仁親王を総裁に推戴。1992年平成4年)財団設立50周年を記念して山階芳麿賞を創設。1998年(平成10年)、紀宮清子内親王が非常勤研究員に就任(2005年(平成17年)の結婚まで)。2012年(平成24年)4月1日、法人名を「公益財団法人山階鳥類研究所」と改称。

栄典


  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、113頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  2. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、33頁。
  4. ^ 『官報』第5800号、昭和21年5月18日。
  5. ^ 公職追放の該当事項は「正規海軍将校」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、746頁。NDLJP:1276156 


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