天璋院 逸話

天璋院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 08:01 UTC 版)

逸話

  • 明治維新後、生活に窮した状況に陥っても薩摩藩からの金銭援助を断り、あくまでも徳川の人間として生きたと言われる。
  • 篤姫は嘉永7年(1854年)11月、島津重豪の十男で八戸藩主となっていた南部信順の強い勧めにより、斉彬とともに大石寺(現在の日蓮正宗総本山静岡県富士宮市)に帰依し、同塔中遠信坊の再々興に貢献した。家定の死後の万延元年(1860年)には大石寺第51代法主日英に、51日間[注釈 5] にわたって、1日12時間の唱題祈念を願われている[9]
  • 平成20年(2008年)、東京学芸大学の教授により篤姫の駕籠が発見された。場所はアメリカのスミソニアン博物館。その駕籠には、篤姫だけが使用したという「双葉葵唐草」の模様と篤姫の実家である近衛家の家紋「近衛牡丹」紋および「三つ葉葵」紋がちりばめられている。
  • 明治維新後は、自分の所持金を切り詰めてでも元大奥関係者の就職・縁組に奔走していた。そのため、死後に確認された所持金は3円(現在の6万円ほど)しかなかったという。
  • 明治維新後も、東京を離れることはほとんどなく、明治10年に箱根塔ノ沢で病気療養中の和宮を見舞うため箱根を訪れたのが生涯唯一の旅行となった。ただし箱根に到着したのは和宮が薨去した後になったため、天璋院は和宮を弔い、和歌を贈っている。

趣味

  • 愛犬家であり、結婚前にはを多数飼っていたが、夫・家定が犬嫌いだったため大奥入り後は猫(名はサト姫)を飼っていた。その猫の餌代は年間25両(現代の価値でおよそ250万円)で、専用のアワビの貝殻型の食器を使用、篤姫と一緒に御膳で食事をとっていた。首輪は紅絹紐、鈴は銀製で、毎月新しい物に交換、竹籠に縮緬の布団で寝ていたのみならず、世話係は3人もおり、その一人が大奥を統轄していた御年寄・瀧山の姪にあたり、後に大奥の内情を三田村鳶魚に語った御中臈・ませである[10][11]
  • 日本人として初めてミシンを扱った人物と言われている。そのミシンを贈ったのはペリー提督だという説が一般的である。

血筋


注釈

  1. ^ 薩摩今和泉家の住居の出典。
  2. ^ この4か月後に奥羽越列藩同盟の盟主に奉られていた輪王寺宮公現法親王仙台藩宛に「逆賊薩長討伐」を願う書状を送っていたことが明らかになった。勝海舟らの和平工作を破壊、徳川家の存続を冒しかねないこの書状について、徳川記念財団の藤田英昭研究員は「このような篤姫の徳川復興を望む行動は、徳川家内でも(天璋院の)孤立を深めたであろう」と推測している[4]
  3. ^ 天璋院が静寛院宮とともに勝海舟の屋敷を訪れ昼食をとった際、お櫃のご飯をどちらがよそうかとなった時は、勝がもう一つしゃもじを用意して、互いの茶碗にご飯をよそわせたと言われている
  4. ^ 大奥では「藩主実子の姫でなければお部屋様(=側室)扱いにしようという意見があった。さらに慶喜の父・徳川斉昭も、斉彬がなりふり構わない手段をとって身分の低い女性を送り込むことは将軍家を軽んじているとの書状を残している[8]
  5. ^ 3月15日から4月5日まで。
  6. ^ 妙光寺所蔵。

出典

  1. ^ 「鹿児島大百科」 p.151 - 南日本新聞社[注釈 1]
  2. ^ 「膏肓記」歴史作家桐野作人のブログ2009年9月5日「篤姫幼名は「おいち」?」 史料は、尚古集成館所蔵『典姫様日記 寶印御方』典姫は島津斉彬娘、嘉永6年4月5日条「今和泉於市様が、今日篤姫様と仰せいでることになる」、『日記 表方御右筆間』 天保7年(1836)8月5日条「篤姫の義理の叔母にあたる女性が勝姫(かつひめ)と改名したので、以後、「勝」の字と「かつ」の呼び名を遠慮するよう通達があった」鹿児島県歴史資料センター黎明館調査研究報告2010年「史料紹介「嘉永六年表方御右筆間日記」- 篤姫養女一件寸考 -」2018年5月14日閲覧
  3. ^ 小谷野敦『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』青土社、2011年、75頁
  4. ^ 南日本新聞2008年3月21日記事
  5. ^ 篤姫』最終回「篤姫紀行」
  6. ^ 『旧事諮問録』岩波文庫、上巻、213p
  7. ^ 畑尚子「幕末の大奥と薩摩藩」(岩波新書(新赤版)2007年)P83-84
  8. ^ 『徳川将軍家の結婚』ISBN 4166604805
  9. ^ 日英 『時々興記留』[注釈 6]
  10. ^ 幕末の大奥で自由恋愛できた唯一のサト姫 それは篤姫の愛猫でした”. BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン). GH (2018年2月26日). 2019年1月9日閲覧。
  11. ^ 『花葵―徳川邸おもいでばなし』ISBN 4620312347






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