一条秀子とは? わかりやすく解説

一条秀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 10:01 UTC 版)

一条 秀子(いちじょう ひでこ、文政8年10月13日1825年11月22日[1] - 嘉永3年6月6日1850年7月14日))は、後の江戸幕府第13代将軍徳川家定がまだ家祥と名乗っていた将軍世子時代に迎えた二人目の御簾中(正室)。関白一条忠良の十四女。初名は寿明姫。院号澄心院(ちょうしんいん)。


  1. ^ 『徳川歴代将軍事典』(吉川弘文館、2013年)p.692
  2. ^ 坪井信良書簡(嘉永3年8月8日付)[1]
  3. ^ アン・ウォルソール「江戸文化における大奥」
  4. ^ “寛永寺の徳川将軍家墓所調査:見直される大奥のイメージ”. 毎日新聞 東京夕刊. (2008年7月8日) 


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