塚谷晃弘 塚谷晃弘の概要

塚谷晃弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 06:29 UTC 版)

経歴

生い立ち

東京府本郷区湯島にて、鉄道照明機工場経営者の長男として生まれる。豊島師範附属小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)から武蔵高等学校 (旧制)尋常科・同高等科文科甲類を1937年に卒業。この間、14歳のとき母からピアノの手ほどきを受け、16歳で塚谷留太(国立音楽大学講師)からヴァイオリンを習い、旧制高校在学中から鯨井孝に師事、声楽を約2年間習う。

1938年東京帝国大学経済学部入学。東大時代は同校の管弦楽団で1年間コントラバスを演奏。大学2年のとき友人北園克衛と石田一郎の勧めにより独立作曲家協会に参加。大学在学中から諸井三郎に作曲を師事し、1939年、ピアノ曲『7つのバガテル』『オデレッタ』を作曲初演。1940年、『フルート小奏鳴曲』やピアノ曲『3つの緩い短い前奏曲』を発表。

経済学者として

1941年4月、東大を卒業し東亜研究所の研究員になる。1942年4月に応召、陸軍兵卒として北支に8ヶ月従軍。復員後、軍属として4年間勤務。1945年の敗戦まで経済調査事務に従事。1946年5月、日本歯科医学校専門学校講師に就任。1947年10月、同校教授になる。成蹊大学國學院大學の講師をも兼任し、1951年4月、國學院大學政治部助教授。1953年6月、國學院大學政治経済学部教授。1960年4月、滝川政次郎樋口清之たちと社会経済史研究所を結成。1964年2月から同年9月にかけて滞米し、スタンフォード大学に留学、南カリフォルニア大学で講演。1985年1月「近代日本経済思想史研究」で國學院大學経済学博士1988年3月、國學院大學を定年退職。

作曲家として

作曲家としては1949年に「新作曲派協会」を清瀬保二松平頼則らと結成。1950年NHK25周年記念管弦楽曲懸賞に応募し交響組曲『祭典』で佳作入選。1951年から高田三郎にオーケストラの指揮法を師事。同年から舞踊音楽の作曲も始め、『黒い沼』で舞踊家関矢幸雄と共に高松宮賞を受賞。作品に「3楽章のバレエ音楽」、代表作の「弦楽と打楽器のための組曲」、「無伴奏チェロのための2章」などがある。

1995年心不全で死去。

なお、音楽之友社取締役執行役員(2015年現在)の塚谷夏生は実娘。

主要作品

管弦楽

  • 弦楽と打楽器のための組曲

室内楽・器楽

  • 金管のための音楽
  • 無伴奏チェロのための2章
  • フルートのための小品
  • ギターソロのための三章
  • ギターのための四つのやさしい小曲
  • ソナチネ(ピアノ)
  • 5つのやさしい小品(ピアノ)
  • 瞑想とバラード(ピアノ)
  • ピアノのための作品No. 1
  • ピアノのための作品No. 2
  • 無伴奏オーボエ曲集

歌曲

  • 予感
  • 田園小景
  • 夏の点描
  • 想い
  • 花のいのち

合唱曲

  • 三つの歌(混声合唱)
  • 聖母賛歌(女声合唱、ピアノ)
  • 道化男の秋の唄(男声合唱、ピアノ)
  • 混声合唱のための「匂いの組曲」(混声合唱、ピアノ)
  • 合唱組曲「春・秋」(混声合唱)



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