地歌
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地歌三味線(三弦・三絃)の特徴
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- 中棹に含められているが、地歌の三味線は棹や胴が浄瑠璃系の中棹三味線よりもやや大きい。ただし細棹三味線よりも更に細い柳川三味線(京三味線)を使う流派も少ないながらある。また糸(弦)も長唄よりもやや太いものを使うことが多い。
- 棹が胴に接するあたりは、普通の三味線では棹の上面が徐々にカーブを描いて下がっていく(この形を「鳩胸」と呼ぶ)が、地歌の三味線では上面が胴に接するぎりぎりまで高さを保つように作られている。これにより、開放弦から2オクターヴと2度程度までの高い音を出すことができるようになっている(他の三味線は1オクターヴと5 - 6度)。これを考案したのは、明治に熊本、東京で活躍した九州系地歌演奏家の長谷幸輝(ながたにゆきてる・1843年 - 1920年)といわれる。手事もの地歌曲では高いポジションをよく使用するが、これにより明確な高音が出せるようになった。後にこのつくりは津軽三味線等民謡用の三味線にも取り入れられている。
- 駒は水牛の角製のものが多く、まれに象牙やべっ甲製のものもある。裏面(皮に接する面)に金属のおもり(金、銀、あるいは鉛)を二カ所に埋め込んだものが多く使われる。おもりの重さによって音色も変わって来るので、地歌の演奏家は普通、楽器の癖、皮の張り具合、天候、曲調などに合わせいくつもの駒を使い分ける。なおこの駒を改良したのも長谷幸輝といわれ、本来九州系で使われていたものが次第に広まったもので、関西では水牛角製でもおもりがなく底辺の大きい「台広」といわれる駒を使うことが多かった。いずれにしても地歌の駒は音色を決める上で非常に重要なものであり、その点において世界の弦楽器の駒の中でももっとも発達したものと言ってもよい。
- 撥は、多くの系統で「津山撥」と称する大型のものを使用する。これは文政から天保初年の頃に大阪の津山検校が改良したもので、撥が先に向かって急に開くあたりから厚みを急に減らし、それから先が急に薄くなっているもの。撥の開きも大きいこともあり、撥先が鋭く、弾力性も増して細かな技巧に適している。また弾く時には、撥を胴の枠木の部分に当て、撥音を立て過ぎないようにする。これも繊細な音作りのためである。これらは地歌が劇場のような広い場所での演奏でなく、また芝居や舞踊の伴奏ではない純粋な音楽として、音に注意を集中し、室内でじっくりと音色を味わう音楽上の性格から来ている。材質はすべて象牙でできたものを第一とし、それを「丸撥」(まるばち)と呼ぶ。他に握りの部分が象牙で、撥先をべっ甲にしたものもよく使われる。昔は握りが水牛の角製のものが多かった。もちろん現在では象牙、べっ甲共に稀少品なので、合成樹脂でできているものを稽古に使うことも多い。
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