地歌作品と箏の手付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/22 08:22 UTC 版)
三味線の作品(地歌)は手事ものがほとんどで、その他には端歌ものも作曲している。手事ものは様式的には「京流手事もの」を完全に踏襲しており、さすがに既に三味線の技巧が極められてしまっている時代であるだけに、特別に吉沢が新たに切り開いた感はないが、やはり京都の作曲家のものとは少し違う独自性が感じられる。三味線の技巧もかなり高度に追求され、「花の縁(えにし)」は手事を二箇所に持つ堂々とした大曲であり、吉沢検校の作品における器楽面での充実ぶりを示している。同曲の他「玉くしげ」「夏衣」など、明るい雰囲気の曲が多いのも特徴である。 箏の手付けも全ての自作曲において自分で行っている。幼少の頃から箏にも長けていたらしく、既に11歳で地歌「屋島」に箏の手を付けているのをはじめ、既存の地歌曲にもいくつか箏の手付けをしているが、これらもやはり八重崎検校など京都の手付けとは雰囲気が異なっている。また作曲上大きな影響を受けた光崎検校の「秋風の曲」にも箏の替手を作っている。後述のように胡弓の手付けも非常に独創的である。 一方、同僚たちの妬みによって、辛い思いをした名古屋を去る時に作った端歌もの曲「捨扇」は、流麗な中に頻繁な転調や非常に凝った節付けの歌など、小品ながら侮りがたい作りで、曲術の力量のほどが偲ばれるとともに、失意や悲しみがひしひしと感じられ、雅びな「千鳥の曲」や明るく華やかな「花の縁」などとはまた違った、吉沢の心の一面を垣間見ることができる。作曲者個人の生の心情を直接的に表すということも、ある意味近代的といえるかもしれない。 彼の作品全般を見渡してみると、内容としては恋愛的要素が数例しか見られないのが大きな特徴である。ことに地歌曲にその傾向が希薄なのは、三味線音楽として見た場合、まことに珍しいことである。
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