圓
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中国
18世紀以降、清国では従来の銀錠に加えて、メキシコから流入したメキシコドルが流通し始めたが、1890年には広東造幣廠が設立され、メキシコドルとほぼ等しい量目七銭二分(26.86グラム)、品位90%の光緒元寶が発行されるようになった。これは中央政府が発行するものではなく、各省政府による発行であった。さらに、この七銭二分は日本の七匁二分に相当し、額面ではなく量目を表すものであった。しかしながら両替商らは持ち込まれる銀地金や他地域の銀錠の改鋳手数料により収入を得ていたため、このような計数銀貨の発行は両替商らの抵抗に遭うことになった。
中華民国元年(1912年)1月1日に、孫文により革命が断行され、中華民国が成立した。中華民国3年(1914年)からは袁世凱の肖像と壹圓の文字を刻んだ量目七銭二分(26.86グラム)、品位90%の銀幣が発行された。
中華民国22年(1933年)3月に国民政府は廃両改元を布告し、4月6日に秤量貨幣の通貨単位としての銀両は廃止され、銀元が導入された。上海に国民政府中央造幣廠が設立され、銀本位制を定めた銀本位幣鋳造条例に基づく、量目0.715両(26.67g)、品位88%の一元銀幣が発行された。これは表面に孫文の肖像を描くもので「孫文像幣」とも呼ばれた。通貨補助単位は圓の1/10が「角(Chiao)」、1/100が「分(Fen)」、1/1000が「文(Cash)」であった。
中華民国24年(1935年)11月4日、国民政府は幣制改革を断行し、銀本位制は廃止され管理通貨制度となり、法幣一元=イギリス1シリング2.5ペンスの固定相場制となった。
日中戦争後、中華民国政府の中国国民党軍と中国共産党との間で国共内戦が起こった。この間に法幣が多量発行され激しいインフレーションとなった。中華民国38年(1949年)12月7日に国民政府は台湾へ移転し、中華民国37年(1948年)12月1日から中国共産党により設立されていた中国人民銀行が発行する人民元(Yuan、CNY)が中国本土に流通することとなった。通貨補助単位は元の1/10が「角(Jiao)」、1/100が「分(Fen)」となった。
- ^ a b c 刀祢館正久 『円の百年―日本経済側面史』 朝日選書、1986年
- ^ 三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年
- ^ a b Chester L. Krause and Clofford Mishler, Colin R. Brucell, Standard catalog of WORLD COINS, Krause publications, 1989.
- ^ 貨幣制度調査会 『貨幣制度調査会報告』 1895年
- ^ a b c 三上隆三 『円の社会史―貨幣が語る近代』 中公新書、1989年
- ^ 明治財政史編纂会編 『明治財政史(第11巻)通貨』 大蔵省編纂、1905年
- ^ a b 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省編纂、1939年
- ^ モンゴル科学アカデミー歴史研究所『モンゴル史』恒文社1988, pp.245-246
- ^ 平石国雄、二橋瑛夫 『世界コイン図鑑』 日本専門図書出版、2002年
円
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