国鉄デハ6250形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 09:27 UTC 版)
デハニ6470形への改造
1915年(大正4年)、デハ6258, 6259の2両が、前位側3分の1の客室を荷重3tの荷物室に変更し、形式番号をデハニ6470形(6470, 6471)に改めた。荷物室の側面には幅4フィート(約120cm)の両引戸が設置され、客室の前位側には幅3フィート(約90cm )の引戸が増設されている。
本形式も、デハ6250形として残存した車両と同様の標準化改造が行われ、大きく外観が変貌したのも、同様である。
新宿電車庫火災による廃車
1916年(大正5年)11月24日、新宿電車庫が火災により焼失し、同庫に配属されていた電車20両も焼失した。本形式では、5両(6250 - 6253, 6255)が被災し、同年11月23日付けで廃車されている。焼け残った電装品は、当時、電装品は輸入に頼らざるをえず、貴重品であったことから、デハ6380形新製の際に再用されている。
50PS車使用停止にともなう転用
1925年(大正14年)9月、使用電源が直流600Vであった50PS車は、1924年(大正13年)10月の山手線、さらに中央線の昇圧にともなって、その使用が停止された。デハ6250形3両とデハニ6470形2両も、その例にもれず使用が停止され、転用が図られた。
デハ6250形については1926年1月に目黒蒲田電鉄に譲渡され、さらに阪神急行電鉄に移った。目黒蒲田電鉄ではデハ48 - 50と称されたが、同社での使用実績はなかったようである。阪神急行電鉄では、90形と称され、後年鋼体化も行われた(以降の変遷については、阪急90形電車を参照されたい)。
デハニ6470形については同年12月に6470が電装解除のうえ付随車に転用され、サハ23600形(23637)に改称、さらに1926年12月にはサハ23600形の制御車化改造にともなって23629(2代目)に改番された。
6471については1927年(昭和2年)9月に車両性能試験車クケン23100形(23100)に改造されている。
1928年10月車両称号規程改正にともなう変更
1928年(昭和3年)10月1日に施行された車両称号規程改正時点では、サハ23600形(23629)とクケン23100形(23100)の2両が残存しており、それぞれサハ25形(25029)、クヤ16形(16001)に改番された。
25029はデハ6250形中、鉄道省に残存する唯一の営業用車として1948年(昭和23年)10月まで在籍し、秩父鉄道に譲渡されたが、現車は1950年(昭和25年)鋼体化改造名義でクハ32に振り替えられている。
16001は、戦後の1948年4月にモハ52形2両(52002、52005)とともに、東海道本線三島 - 沼津間で行われた高速度試験に供された。国有鉄道最古の電車が車体を軋ませながら100km/h以上で走行する様は、壮絶であったという。同車は1953年(昭和28年)6月1日付けの車両称号規程改正により、クヤ9010形(9010)に改番された後、後継のクヤ9020形(後のクヤ99形)に置き換えられる1955年(昭和30年)1月まで国鉄に在籍するという長命を保った。
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注釈
- ^ これは、従来電車の等級は二等と三等の中間と定められていた(それゆえ等級記号が使用されていなかった)が、この改正で正式に三等車扱いとされたため、相応の形式番号に変更されたものである。
- ^ 1928年10月の車両形式称号規程の改正により、サハ6形およびサハ19形に分類されたものに相当。
- ^ 同じく車両形式称号規程の改正により、サハ25形に分類されたものに相当。
出典
- 1 国鉄デハ6250形電車とは
- 2 国鉄デハ6250形電車の概要
- 3 デハニ6470形への改造
- 4 脚注
固有名詞の分類
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