名人 (小説)
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発表経過
川端康成は、1938年(昭和13年)に『東京日日新聞』(7月23日号-12月29日号)に「本因坊名人引退碁観戦記」を連載した後、1940年(昭和15年)1月の本因坊名人死去を受け、「本因坊秀哉名人」を雑誌『囲碁春秋』8月号から10月号まで掲載した[2][7]。しかしこれは、川端の病により中断となった[7]。
川端は2年後の 1942年(昭和17年)から新たに作品を書き始め、終戦をまたいで書き継ぐが一旦中絶し(未想熟版)、これに満足しなかった川端は稿を改めて1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)にかけて各雑誌に断続的に分載した(完成版)。その経過は以下のようになる[2][7][8]。
未想熟版(プレオリジナル)
- 1942年(昭和17年)
- 「名人」(序の章で中断) - 『八雲』8月号(第1号)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 「夕日」(未完) - 『日本評論』3月号
- 1947年(昭和22年)
- 「花」(「名人」と同じ。未完) - 『世界文化』4月号
- 1948年(昭和23年)
- 「未亡人」 - 『改造』1月号
この八雲版(未想熟版プレオリジナル)の『名人』は、1949年(昭和24年)12月10日に細川書店より刊行の『哀愁』に収録され、1950年(昭和25年)5月に新潮社より刊行の『川端康成全集第10巻 花のワルツ』(全16巻本)に収録された。なお、「未亡人」は、本因坊名人の未亡人の死を書いた短篇で、刊行時に取り入れてられていない[2]。
完成版
- 1951年(昭和26年)
- 「名人」 - 『新潮』8月号
- 1952年(昭和27年)
- 「名人生涯」 - 『世界』1月号
- 「名人供養」 - 『世界』5月号
- 1954年(昭和29年)
- 「名人余香」- 『世界』5月号
- 定本『名人』
- 完本の『名人』と称されているものには2種類あり、上記の完成版の「名人」「名人生涯」「名人供養」の3篇をまとめた全41章と、この3篇に「名人余香」を加え、4篇をまとめた全47章(先の41章目は完全に取り払っている)がある。
- 「41章版」は、1952年(昭和27年)9月30日に新潮社より刊行の『川端康成全集第14巻 名人』(全16巻本)と、1960年(昭和35年)12月刊行の『川端康成全集第10巻 名人』(全12巻本)に収録された。
- 「47章版」は、1954年(昭和29年)7月10日に文藝春秋新社より刊行の『呉清源棋談・名人』に収録された。
- この「41章版」と「47章版」のどちらを定本にするかは、川端研究者により意見が分かれており[6][9]、未だに決着がついていない[6]。
- 「41章版」を定本とする派は、「47章版」で出した本が『呉清源棋談・名人』しかないところから、川端自身が「41章版」を重んじ評価していたと主張し[6][9]、「41章版」の終章の方が緊迫感のある「動」で終わり、筆が冴えているとしている[6]。
- 「41章版」の文庫版は新潮文庫より刊行されている。また、観戦記他、囲碁に関連する諸作品については、1981年(昭和56年)8月刊行の『川端康成全集第25巻』(全37巻本)に収録されている。
翻訳版は、エドワード・サイデンステッカー訳(英題:The Master of Go)、閔丙山訳(韓題:Myeong In)、フランス(仏題:Le maître, ou le tournoi de Go)、セルビア・クロアチア(題:Vellemajstor)など世界各国で行われている[10]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 山本健吉「解説」(名人文庫 2004, pp. 166–175)
- ^ a b c d 「あとがき」(『川端康成全集第14巻 名人』新潮社、1952年9月)。独影自命 1970, pp. 244–257に所収
- ^ a b c d 「『雪国』へ」(アルバム川端 1984, pp. 32–64)
- ^ a b c d e 「あとがき」(『呉清源棋談・名人』文藝春秋新社、1954年7月)。評論5 1982, pp. 651–653
- ^ a b 羽鳥一英「『名人』論」(作品研究 1969, pp. 205–219)。羽鳥徹哉「『名人』論」(論集成5 2010)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「第二部 第二章 『名人』論」(今村 1988, pp. 107–125)
- ^ a b c 近藤裕子「名人」(事典 1998, pp. 352–355)
- ^ 「解題――名人」(小説11 1980, pp. 593)
- ^ a b 松坂俊夫「『名人』小考」(『現代国語シリーズ「川端康成』尚学図書、1982年5月)。今村 1988, p. 110
- ^ 「翻訳書目録」(雑纂2 1983, pp. 649–680)
- ^ 木谷実『現代の名局3 木谷実』(誠文堂新光社、1968年12月)p.169
- ^ 『昭和の名局1 燃える新布石』(日本棋院)p.228
- ^ 内藤由起子「囲碁ライバル物語」(マイナビ)p.51
- ^ 内藤由起子「それも一局」(水曜社)p.11
- ^ a b c 「第六章 現実からの飛翔―『雪国』と『名人』―」(川嶋 1969, pp. 200–242)
- ^ 小林一郎「『名人』論」(川端文学研究会編『川端康成研究叢書7 鎮魂の哀歌』教育出版センター、1980年4月)。今村 1988, p. 115
- ^ 「嘘と逆」(文學時代 1929年12月号)。評論5 1982, pp. 60–63、作家の自伝 1994に所収
- ^ 「末期の眼」(文藝 1933年12月号)。随筆2 1982, pp. 13–26、一草一花 1991, pp. 99–118、随筆集 2013, pp. 8–26に所収
- ^ 松島利行「そこに碁盤があった 囲碁と映画の文化論(第3回)」(碁ワールド 2003年7月号)
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