名人 (小説) 発表経過

名人 (小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 16:27 UTC 版)

発表経過

川端康成は、1938年(昭和13年)に『東京日日新聞』(7月23日号-12月29日号)に「本因坊名人引退碁観戦記」を連載した後、1940年(昭和15年)1月の本因坊名人死去を受け、「本因坊秀哉名人」を雑誌『囲碁春秋』8月号から10月号まで掲載した[2][7]。しかしこれは、川端の病により中断となった[7]

川端は2年後の 1942年(昭和17年)から新たに作品を書き始め、終戦をまたいで書き継ぐが一旦中絶し(未想熟版)、これに満足しなかった川端は稿を改めて1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)にかけて各雑誌に断続的に分載した(完成版)。その経過は以下のようになる[2][7][8]

未想熟版(プレオリジナル)

  • 1942年(昭和17年)
    • 名人」(序の章で中断) - 『八雲』8月号(第1号)
  • 1943年(昭和18年)
  • 1944年(昭和19年)
    • 「夕日」(未完) - 『日本評論』3月号
  • 1947年(昭和22年)
    • 」(「名人」と同じ。未完) - 『世界文化』4月号
  • 1948年(昭和23年)
    • 未亡人」 - 『改造』1月号

この八雲版(未想熟版プレオリジナル)の『名人』は、1949年(昭和24年)12月10日に細川書店より刊行の『哀愁』に収録され、1950年(昭和25年)5月に新潮社より刊行の『川端康成全集第10巻 花のワルツ』(全16巻本)に収録された。なお、「未亡人」は、本因坊名人の未亡人の死を書いた短篇で、刊行時に取り入れてられていない[2]

完成版

  • 1951年(昭和26年)
    • 名人」 - 『新潮』8月号
  • 1952年(昭和27年)
    • 名人生涯」 - 『世界』1月号
    • 名人供養」 - 『世界』5月号
  • 1954年(昭和29年)
    • 名人余香」- 『世界』5月号
定本『名人』
完本の『名人』と称されているものには2種類あり、上記の完成版の「名人」「名人生涯」「名人供養」の3篇をまとめた全41章と、この3篇に「名人余香」を加え、4篇をまとめた全47章(先の41章目は完全に取り払っている)がある。
41章版」は、1952年(昭和27年)9月30日に新潮社より刊行の『川端康成全集第14巻 名人』(全16巻本)と、1960年(昭和35年)12月刊行の『川端康成全集第10巻 名人』(全12巻本)に収録された。
47章版」は、1954年(昭和29年)7月10日に文藝春秋新社より刊行の『呉清源棋談・名人』に収録された。
この「41章版」と「47章版」のどちらを定本にするかは、川端研究者により意見が分かれており[6][9]、未だに決着がついていない[6]
「41章版」を定本とする派は、「47章版」で出した本が『呉清源棋談・名人』しかないところから、川端自身が「41章版」を重んじ評価していたと主張し[6][9]、「41章版」の終章の方が緊迫感のある「動」で終わり、筆が冴えているとしている[6]
「41章版」の文庫版は新潮文庫より刊行されている。また、観戦記他、囲碁に関連する諸作品については、1981年(昭和56年)8月刊行の『川端康成全集第25巻』(全37巻本)に収録されている。

翻訳版は、エドワード・サイデンステッカー訳(英題:The Master of Go)、閔丙山訳(韓題:Myeong In)、フランス(仏題:Le maître, ou le tournoi de Go)、セルビアクロアチア(題:Vellemajstor)など世界各国で行われている[10]


注釈

  1. ^ ただしこの手は時間かせぎではなく盤上での意味があることを木谷実(作品中の大竹)は後の自戦解説で述べている[11]。また秀哉も2年後に出版された自戦解説で適切な手であることを認めている[12]

出典

  1. ^ a b c d e f g 山本健吉「解説」(名人文庫 2004, pp. 166–175)
  2. ^ a b c d 「あとがき」(『川端康成全集第14巻 名人』新潮社、1952年9月)。独影自命 1970, pp. 244–257に所収
  3. ^ a b c d 「『雪国』へ」(アルバム川端 1984, pp. 32–64)
  4. ^ a b c d e 「あとがき」(『呉清源棋談・名人』文藝春秋新社、1954年7月)。評論5 1982, pp. 651–653
  5. ^ a b 羽鳥一英「『名人』論」(作品研究 1969, pp. 205–219)。羽鳥徹哉「『名人』論」(論集成5 2010
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「第二部 第二章 『名人』論」(今村 1988, pp. 107–125)
  7. ^ a b c 近藤裕子「名人」(事典 1998, pp. 352–355)
  8. ^ 「解題――名人」(小説11 1980, pp. 593)
  9. ^ a b 松坂俊夫「『名人』小考」(『現代国語シリーズ「川端康成』尚学図書、1982年5月)。今村 1988, p. 110
  10. ^ 「翻訳書目録」(雑纂2 1983, pp. 649–680)
  11. ^ 木谷実『現代の名局3 木谷実』(誠文堂新光社、1968年12月)p.169
  12. ^ 『昭和の名局1 燃える新布石』(日本棋院)p.228
  13. ^ 内藤由起子「囲碁ライバル物語」(マイナビ)p.51
  14. ^ 内藤由起子「それも一局」(水曜社)p.11
  15. ^ a b c 「第六章 現実からの飛翔―『雪国』と『名人』―」(川嶋 1969, pp. 200–242)
  16. ^ 小林一郎「『名人』論」(川端文学研究会編『川端康成研究叢書7 鎮魂の哀歌』教育出版センター、1980年4月)。今村 1988, p. 115
  17. ^ 「嘘と逆」(文學時代 1929年12月号)。評論5 1982, pp. 60–63、作家の自伝 1994に所収
  18. ^ 「末期の眼」(文藝 1933年12月号)。随筆2 1982, pp. 13–26、一草一花 1991, pp. 99–118、随筆集 2013, pp. 8–26に所収
  19. ^ 松島利行「そこに碁盤があった 囲碁と映画の文化論(第3回)」(碁ワールド 2003年7月号)





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