ブランデンブルク州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 01:15 UTC 版)
地理
かつてのプロイセン自由州の一部である。
ブランデンブルクはベルリン市を取り囲んでおり、北にメクレンブルク=フォアポンメルン州、東はポーランド、南はザクセン州、西はザクセン=アンハルト州と西北で一部ニーダーザクセン州と接している。
東の州境の一部はオーデル川、西の州境の一部はエルベ川である。州内を流れる主な川はシュプレー川とハーフェル川がある。州の南東部はシュプレーヴァルトと呼ばれる湿地帯である。この湿地はラウジッツの最北端であり、スラブ系のソルブ人が居住する地域である。その一帯ではドイツ語と低地ソルブ語の両方が使用されている。
歴史
中世初期
後のブランデンブルク辺境伯領の中核、 今日のブランデンブルク市(ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル)を中心とする土地には早くから人々が居住していた。民族移動の時期以前からハーフェル川沿岸地方に居住していた、ゲルマン民族スエービー諸族中の首族セムノーネス(ラテン語Semnones;ドイツ語Semnonen)は、最初恐らくテューリンゲン族の支配下に入り、531年以後はフランク王国の支配下に組み込まれた。6世紀半ば過ぎにキルデベルト(Childebert)王は ハーフェル川・シュプレー川沿岸地方の残りのセムノーネス人をザーレ川の西の土地に移住させた。彼らが以前住んでいた地には、南方および当方から移動してきたスラヴ人が入った。メロヴィング王国の宮宰カール・マルテルの保護下にあってスラヴ人の土地は広がった。789年ないし812年のフランク族の遠征以降一部はカロリング朝の支配下に入ったと思われる。当地のスラヴ人はボヘミア人との関係を深めたが、928年/929年からのドイツ人との戦いで敗北し、当該の地域は、オットー大帝によって辺境伯ゲーロ(Markgraf von Gero)に統治を委任される「ノルトマルク」(Nordmark)を形成することになった。 しかし、983年のスラヴ人の反乱によってこの秩序は崩壊し、この地はスラヴ人の手に帰したが、ドイツ人は時にポーランド人とともにスラヴ人を攻撃した。12世紀前半この地の支配者でキリスト教徒のPribislav-Heinrichは辺境伯アルブレヒト(アルブレヒト熊公)と協調関係を結んだ。子に恵まれなかった彼は、アルブレヒト熊公を自分の後継者に定めた。こうしてブランデンブルクの主要部分はアスカーニエン家の領有に帰することになった[2]。
中世盛期・末期
近代から現代まで
ブランデンブルク辺境伯領は、1356年に金印勅書を受けて辺境伯が選帝侯になったことで選帝侯領となり、1815年にプロイセン王国の10の州の一つブランデンブルク州(プロヴィンツ、Provinz Brandenburg)となった。第一次世界大戦後はヴァイマル共和国のプロイセン自由州 (フライシュタート、Freistaat Preußen) の一部となった。第二次世界大戦後、オーデル・ナイセ線以東はポーランド領に編入され、それ以外はソビエト連邦が占領してマルク・ブランデンブルク州(プロヴィンツ、Provinz Mark Brandenburg)となった。1947年、戦勝国は軍国主義の温床としてプロイセン解体を宣言し、ソ連占領地域のブランデンブルクは、ブランデンブルク州(ラント、Land Brandenburg)と改名された。1949年、ソ連を後ろ盾とするドイツ民主共和国の成立により、その1州となったが、1952年の地方行政制度改革により州制度は廃止され(ドイツ民主共和国の地方行政区画参照)、ブランデンブルク州 はコトブス県、フランクフルト(オーダー)県、ポツダム県に3分割された。1990年、ドイツ再統一の結果、ブランデンブルク州(ラント、Land Brandenburg)が復活した。1995年、ブランデンブルク州政府とベルリン市政府は、合併して「ベルリン=ブランデンブルク州」となることに合意したが、1996年の住民投票により否決された。
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プロイセン州内ブランデンブルク州と1993年以降の国境
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1947年の州境1990年の州境
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ドイツ民主共和国における旧ブランデンブルク州の県
政治
州議会
州議会 (Landtag) の定数は88。2019年9月1日に行われた州議会選挙での、各党の「得票率/獲得議席数(前回2014年選挙からの増減)/議席占有率」は以下の通りである。
- ドイツ社会民主党 (SPD) 26.2%/25議席(-5)/28.4%
- ドイツのための選択肢 (AfD) 23.5%/23議席(+12)/26.1%
- ドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 15.6%/15議席(-6)/17.0%
- 同盟90/緑の党 (Grüne) 10.8%/10議席(+4)/11.4%
- 左翼党 (Linke) 10.7%/10議席(-7)/11.4%
- ブランデンブルク連合市民運動/自由な有権者(BVB/FW) 5.0%/5議席(+2)/5.7%
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- 自由民主党 (FDP) 4.1%/0議席(±0)/0%
選挙前の、SPD・左翼党による「赤赤連立」は両党とも議席を減らしたため解消され、左翼党が下野し、SPD・CDU・同盟90/緑の党による「ケニア連立」(3党のシンボルカラーがケニアの国旗の構成色と同じことによる呼称)が成立した。一方、反ユーロを掲げるAfDが前回にも増す続伸により、州議会第2党・最大野党の座を獲得し存在感を増した。前回選挙で阻止条項により議席を失ったFDPは、復活を果たすことができなかった。
歴代州首相
1952年、州廃止。1990年、州復活。
- 1990年-2002年: マンフレート・シュトルペ (SPD)
- 2002年-2013年: マティアス・プラツェック (SPD)
- 2013年-: ディートマー・ヴォイトケ (SPD)
- ^ https://www.benricho.org/kanji/kanji_chimei/database/csv_search.cgi
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. II. München/Zürich: Artemis 1983 (ISBN 3-7608-8902-6), Sp. 554-555 (Beitrag von L.Dralle).
- ^ a b Bevölkerungsentwicklung und Flächen der kreisfreien Städte, Landkreise und Gemeinden im Land Brandenburg 2021 (Fortgeschriebene amtliche Einwohnerzahlen, bezogen auf den aktuellen Gebietsstand)
- ^ Lufthansa Boeing 747-830 D-ABYA "Brandenburg"
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