カシオペア (バンド)
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概要
メンバー構成
バンド名をCASIOPEAにした直後の1977年に出場したアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest'77」から現在のCASIOPEA P-4に至るまで、ギター、ベース、キーボード、ドラムの4人編成で活動。途中、専属ボーカリストの帯同(1986年 - 1987年)やツインドラムでの形態(2004年 - 2006年)もあった。現在のメンバーは以下の通り。
正式メンバー | プロフィール | 担当 | 備考 |
---|---|---|---|
野呂一生 (のろ いっせい) |
1957年1月1日(67歳)、東京都出身 | ギター | バンドのリーダー。メイン・コンポーザー。唯一のオリジナル・メンバー。 |
鳴瀬喜博 (なるせ よしひろ) |
1949年11月13日(74歳)、東京都出身 | ベース | 1990年加入。 |
大高清美 (おおたか きよみ) |
10月18日[注 1]、埼玉県出身 | キーボード | 2012年加入。 |
今井義頼 (いまい よしのり) |
1987年11月2日(36歳) | ドラム | 2022年加入。 |
四期に分かれる活動期
結成時から1989年までの野呂一生・櫻井哲夫・向谷実・神保彰によるメンバーでの活動を第1期、1990年に櫻井と神保脱退を受けての鳴瀬喜博加入から2006年の活動休止表明までを第2期[1][出典無効]、2012年に活動再開を表明し、同時に向谷の脱退を受けて大高清美が加入したCASIOPEA 3rdを第3期、2022年にレギュラー・サポートメンバーであった神保の脱退を受けて7月より今井義頼が加入した現行の活動形態であるCASIOPEA-P4を第4期としている。
活動期 | 年 | アルバム | ギター | ベース | キーボード | ドラム |
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カシオペア | ||||||
第1期 | 1976年 | 野呂一生 | 櫻井哲夫 | 小池秀彦 | 鈴木徹 | |
1977年 - 1979年 | 向谷実 | 佐々木隆 | ||||
1979年 | 『CASIOPEA』 ↓ 『SUPER FLIGHT』 | |||||
1980年 - 1989年 | 『THUNDER LIVE』 ↓ 『WORLD LIVE '88』 |
神保彰 | ||||
第2期 | 1990年 - 1992年 | 『THE PARTY』 ↓ 『WE WANT MORE』 |
鳴瀬喜博 | 日山正明 | ||
1992年 - 1996年 | 『DRAMATIC』 ↓ 『Flowers』 |
熊谷徳明 | ||||
1997年 - 2006年 | 『Light and Shadows』 ↓ 『SIGNAL』[注 2] |
神保彰(サポート) | ||||
CASIOPEA 3rd | ||||||
第3期 | 2012年 - 2022年 | 『LIVE LIFTOFF 2012』 ↓ 『A・KA・RI』 |
野呂一生 | 鳴瀬喜博 | 大高清美 | 神保彰(サポート) |
CASIOPEA-P4 | ||||||
第4期 | 2022年 - 現在 | 野呂一生 | 鳴瀬喜博 | 大高清美 | 今井義頼 |
タイムライン
サウンドの特色
リズム面では16ビートを基本とし、またハーモニー面ではジャズ理論をベースとし、テンション・ノートや代理コードを多用した複雑ながらもスムーズなコード進行や転調が特徴の一つ。また、調律の基準ピッチを通常はA=440HzとするところをA=441Hzとしているのも特徴で、これは野呂のギターの調律を441Hzで行っていたことに起因している。
結成時からリーダー兼ギタリストの野呂が書くオリジナル曲を中心に演奏。そのロックやファンクをベースとし、アドリブなどソロプレイでなくアンサンブルを主体にしたインストの音楽性は、黎明期の日本のフュージョン・シーンにおいて珍しかったが、80年代に入るとポップス性を前面に出したザ・スクエア(現:T-SQUARE)と共に主流となり、親しみやすくそれでいてテクニカルなインストの曲には「カシオペアっぽい」という形容詞が普通に使われるようになる。
他のフュージョン系アーティストと同様、カシオペアの曲はテレビ番組やラジオ番組のBGMとしても頻繁に使われている。
商業的評価
80年代前半から中盤にかけて商業的にも成功し、歌のないインストバンドながらアルバムリリース毎にチャートの上位を賑わし、ライブを重ねるごとにファンを増やし続け、日本全国でホール展開のコンサート・ツアーを催していた。
しかし、1980年代後半になると、全米進出のためにボーカルの導入やアメリカン・ポップス色を強くした音楽性はバンドの方向性に迷いを示し、ファン離れが顕著となる。さらに櫻井と神保の脱退という決定的な事態が追い打ちを掛けて人気が急落した。
鳴瀬喜博を迎えて以降は方針を修正し、デビュー以来のロックやファンク・ティストのインストに絞った音楽性による継続した活動を行い、時間は掛かったものの旧来からのファンの回帰に加えて常に新しい世代のファンを増やすことにも成功。浮き沈みが激しい今日の日本の音楽業界の中で、活動休止前年の2005年まで毎年コンスタントにアルバムを制作してリリースし続けていた。
2006年の活動休止後、復活を望む声は絶えず寄せられていて、活動再開の理由のひとつにファンの声援に後押しされたというものがあった[2]。再開後のライブはどれも盛況で、東京 JAZZの前夜祭イベント、その後のツアーの東京と大阪公演はチケットを前売り段階でソールドアウトにした。
他アーティストへの影響
デビューアルバムからバンド譜が発行されたり、演奏者向けの音楽誌に取り上げ続けられたこともあり、多くのアマチュアプレイヤーにコピー演奏されてきた。現在でも多くのコピーバンドが存在する。
アマチュア時代にカシオペアの曲をコピー演奏したり、影響を受けたプロミュージシャンも数多い。スターダストレビューの根本要は後述のコンテスト「EastWest」で一緒に出場していたカシオペアを見て、あまりの凄さにそれまで行っていたインストゥルメンタルの演奏をあきらめ、ヴォーカルバンドに方針転換したことを明かしている。後年、スターダストレビューでカシオペアをリスペクトした「Cassiopeia」というインスト曲をアルバム収録している。
吉川晃司は1985年にカシオペアとフジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』で共演した際にギターでコピー演奏していたことを告白。代表曲「ASAYAKE」のコピー演奏も流れた。フュージョン系ミュージシャンでは、元T-SQUAREの則竹裕之、須藤満、本田雅人、DIMENSIONの小野塚晃、日野賢二らもアマチュア時代にコピーに勤しみ、その後の演奏活動にも多大な影響を受けることになった。ベーシストであり、作・編曲家でもある徳永暁人は学生時代にカシオペアをコピーしていたばかりでなく、東京音楽大学在学中にそこで講義を受け持つ鳴瀬と野呂の生徒として学んでいた。他に谷村有美などもアマチュア時代にコピーしていたことを著書の中で綴ったり、佐藤竹善もアマチュア時代にベースを弾いており、アルバム『サンダー・ライブ』の「ミッドナイト・ランデブー」や「スペースロード」をコピーしていたことを櫻井哲夫や神保彰の出演していたCS番組の『MINT CLUB』に出演した際に明かしていた。さらに日本のポップス界で有名なプロデューサーの亀田誠治[注 3]や本間昭光等もファンであったことを明かしている。モンド・グロッソの大沢伸一はカシオペアの「ダズリング」をアルバムでカヴァーしていたり、キー・オブ・ライフがカシオペアの「ASAYAKE」をサンプリングした「ASAYAKEの中で」という曲をシングルデビュー曲としてリリースしている。
海外のミュージシャンについてはヨーロッパツアー等をしていた時期を通じ、デュラン・デュランやカジャグーグー等のイギリスのミュージシャンがカシオペアを聞いているとの内容が当時のインタビューで語られていた。カジャグーグーはカシオペアの1983年のロンドンレコーディング(アルバム『JIVE JIVE』)にも立ち会っている。シャカタクもカシオペアのファンであることを公言していたり、後のアシッドジャズ系のギタリスト、ロニー・ジョーダンが影響を受けたことを明かしている。近年ではダーティ・ループスがカシオペアのファンであることを明かしていたり、テレビ番組の出演の際にカヴァーしてみたいアーティストとして名前を挙げたり、自身のライブにカシオペア3rdを招待しようとしていた。
注釈
- ^ 本人および所属のカシオペアの公式ページのプロフィールにおいて生年非公表。
- ^ CASIOPEA with Synchronized DNAの共作名義。
- ^ 後に櫻井哲夫のソロアルバムをプロデュースしている。
- ^ 脱退後の小池は、杉真理&レッドストライプスのメンバーなどを経て、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)に就職。所属のビートたけしや岩崎宏美の担当ディレクターとなる。後年、ビクター小池の名でビートたけし出演番組に度々出るようになる。
- ^ 2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』制作後に話し合いが持たれて決まるが、すぐに脱退したわけではなく、その後に決まっていたライブツアーなどのスケジュールには佐々木は参加していた。カシオペアはこの間に次のドラマーである神保彰と巡り逢った[3]。
- ^ 来日した海外のフュージョン系の著名ミュージシャンに、日本のフュージョン系アーティストの新譜レコードをアーティスト名やプロフィールなど目隠し状態で伏せて聴かせて、音だけの判断で評論してもらう。
- ^ 一度目は1981年に当時の所属レコード会社のアルファ・レコードがアメリカに現地法人のレコード会社のアルファ・アメリカを作ってそこから最初にアルバム『EYES OF THE MIND』と続けてアルバム『MAKE UP CITY』(日本では先に制作されて発売されたが、アメリカでは『EYES OF THE MIND』の後からとなった)を発売したこと。二枚ともチャートに載るくらいのセールス記録を上げて一応の成功を見せたが、翌1982年にアルファ・アメリカが資金難に陥り、アメリカ市場から撤退を余儀なくされたことで、継続したレコードリリースが出来なくなり、カシオペアのアメリカ進出もそのまま自然消滅してしまった。
- ^ 1997年当時、神保は櫻井哲夫との双頭ユニットのジンサクがまだ活動中だった。しかし、以前に比べて互いの個人活動が多くなっていた時期で、翌1998年2月にジンサクは解散した。
- ^ 2013年からは一部メンバーを入れ替えた「向谷実とチャージ&バックス」名義となって同様の活動をしている。
- ^ 2009年に櫻井哲夫と互いにデビュー30周年を記念した双頭ユニット、ペガサスでは互いのカシオペアの自作曲を幾つも演奏していた。
- ^ CASIOPEA 3rd時代唯一の櫻井との共演にもなった。
- ^ 翌年と翌々年にも開催。
- ^ 活動から離脱
- ^ ちなみにT-SQUAREの所属レコード会社でもある。また、2002年には「Village DSD Mastering Series」として、ヴィレッジからアルファレコード時代のCDがT-SQUAREと共に同社からリマスター再発されていた。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u レーベルは、初版でリリースされたものに従う。
- ^ 公式では、ベストアルバムとして位置付けられている。
- ^ CASIOPEA + Synchronized DNA名義。
出典
- ^ 野呂出演番組『GUITAR STORIES 情熱のスーパーギタリスト列伝』(TwellV、2011年放送)で野呂自らが発言
- ^ CASIOPEA 3rd公式YouTubeチャンネル「鳴瀬喜博インタビュー20131018_1」より
- ^ 向谷実『フュージョン狂時代 ワールドツアー雑記帳』ヤマハミュージックメディア、1995年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-636-20931-1。
- ^ [1]
- ^ “カシオペアが第4期となるCASIOPEA-P4の始動を発表!ドラムは今井義頼!!”. リズム&ドラムマガジン. (2022年7月1日) 2022年7月23日閲覧。
- ^ https://twitter.com/Casiopea_staff/status/1550483228968222720
- ^ 『CASIOPEA vs THE SQUARE』内「SPECIAL TALK」。
- ^ “Nonstop Casiopea - Fusion Radio をTuneInで聴く”. TuneIn. 2024年2月5日閲覧。
- ^ “Home” (jp). ncradio. 2022年5月9日閲覧。
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