エナメル質 物性

エナメル質

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 03:55 UTC 版)

物性

エナメル質はモース硬度6 - 7[2]ヌープ硬度300[34] - 451[35]ビッカース硬さ408[35] と高い硬度を示す。部位により硬度はかわり、切縁・咬頭側、表層側の硬度が高い[36]。この代わりに脆い[28][29]

発生

発生途上の歯を示す組織学のスライド
(スライドの上方が口)

エナメル質の形成は歯の発生の一過程である。発生途上の歯を顕微鏡で見たとき、エナメル器歯堤(英語: Dental lamina歯乳頭などとして知られる細胞の集まりを確認することができる[37]。一般的に歯の発生段階は、蕾状期帽状期鐘状期となる。エナメル質の形成は鐘状期の後期から行われる。

エナメル器より起こる内エナメル上皮エナメル芽細胞となりこれが象牙質の形成開始後にエナメル質の形成を始める。人間のエナメル質は妊娠三 - 四月の時から、切端、咬頭の側から順に、一日あたり4マイクロメートルずつ成長していく[10]。エナメル芽細胞は口腔の上皮が落ち込んでできたものであり、このため、エナメル質は歯の他の組織(中胚葉性)と異なり、外胚葉性のものである[38]

全ての人間のプロセス同様、エナメル質の生成も複雑であるが、一般的に2つの段階に分けられる[39]分泌相と呼ばれる第一段階は、タンパク質や部分的に石灰化した有機質を含んでおり、有機質の分泌と成長の進行を行っている。成熟相と呼ばれる第二段階は厚さの成長が止まってから完全に成熟までの期間で、主にエナメル質の石灰化が進行する。

エナメル質の発生を示す組織学のスライド

分泌相ではエナメル芽細胞は極性を持つ円柱状の細胞である。この細胞の粗面小胞体では、エナメルタンパクが周囲に産出し、エナメル質基質がアルカリフォスファターゼ酵素により部分的に石灰化するのに寄与している[40]

この第一層が形成されると、エナメル芽細胞は象牙質から離れ、先端部にトームス突起が形成される。エナメル質の形成は隣接したエナメル芽細胞で続けられ、その結果トームス突起を保護するように、壁に囲まれたくぼみができる。また、トームス突起の縁でもエナメル質が形成され、くぼみの中にエナメル母体が析出する[41]。 くぼみのエナメル母体は棒状になり、くぼみを囲む芽細胞の壁も最終的に棒同士を繋ぐエナメルになる。棒状のエナメル質と棒同士を繋ぐエナメル質は、カルシウム結晶の方向だけが異なる。

成熟相では、エナメル芽細胞がエナメルの形成に必要な物質を運ぶ。組織学的にいって最も注目すべきは、エナメル芽細胞が縦に筋を作り始めるという点である[40]。これによって、エナメル芽細胞が分泌期のような増殖をやめて運搬機能を発揮し始めたということが分かる。ここで運搬される物質は、石灰化の最終段階に使われるタンパク質がほとんどである。主なものにアメロゲニン、アメロブラスチン、エナメリン、タフテリンなどがある[42]。成熟期において、アメロゲニンとアメロブラスチンは使用された後に除去され、エナメリンとタフテリンだけが残る[43]

成熟期が終わり、歯が口腔内に萌出する前にエナメル芽細胞はなくなる。このため、エナメル質は体の多くの組織と異なり、う蝕や外傷などによるエナメル質の欠損の後、再生する手段がない[44]。ただし、石灰化自体は唾液中に存在する過飽和のカルシウムとリン酸により萌出後も進行する[45]

エナメル質は非病理学的な過程に影響されることがある。喫煙コーヒーなどに長期的に触れることにより変色する[46]。エナメル質のみでなく象牙質もであるが、硬化していく[47]。その結果、年をとるほど、歯の色が暗くなっていく。さらに、流動体の浸透性が低下し、酸に解けにくくなり、水分の含有量が減少する[47]

乳歯のエナメル質の石灰化の進行[48]
出生時エナメル質形成量 エナメル質石灰化完了時期
上顎歯 乳中切歯 5/6 生後1.5か月
乳側切歯 2/3 生後2.5か月
乳犬歯 1/3 生後9か月
第一乳臼歯 咬頭は結合;咬合面は完全に石灰化
歯冠の高さの1/2から3/4まで石灰化
生後6か月
第二乳臼歯 咬頭は結合; 咬合面の石灰化は不完全;
歯冠の高さの1/5から1/4まで石灰化
生後11か月
下顎歯 乳中切歯 3/5 生後2.5か月
乳側切歯 3/5 生後3か月
乳犬歯 1/3 生後9か月
第一乳臼歯 咬頭は結合; 咬合面は完全に石灰化 生後5.5か月
第二乳臼歯 咬頭は結合; 咬合面の石灰化は不完全 生後10か月

乳歯と永久歯におけるエナメル質の違い

乳歯、永久歯ともにエナメル質の結晶はハイドロキシアパタイト Ca10(PO4)6(OH)2 を最小単位として形成されるが、乳歯のエナメル質は永久歯のエナメル質と比較して結晶粒子が小さく[49]、厚さが1/2でほぼ全体での厚さが等しく1 - 2mmである[49][50]。また含水量が多く(乳歯2.8%、永久歯2.3%)、硬度が低く、化学反応性が大きく、脱灰の影響を受けてのう蝕やフッ化物による歯質強化を受けやすい[49]

破壊

歯頸部のう蝕によるエナメルなどの硬組織の破壊。

エナメル質は無機質が多く、人体で最も硬い組織であるが、いくつかの理由で失われる。

一つは脱灰であり[37]、その最も大きな理由は砂糖の摂取によるう蝕である。

口腔内には多くの種類の細菌口腔常在菌)が多数含まれており、砂糖の主成分であるスクロースが口腔内に広がった際、一部の口腔常在菌はスクロースに働き、乳酸を産生する。この乳酸が口腔内のpH を低下させる[51] ことでう蝕が進行する。(詳細についてはう蝕の項目を参照)

う蝕が進行し、エナメル質が、細菌の進入を防ぐことができなくなれば、エナメル質の下の象牙質も同様になる。象牙質はう蝕の進行がエナメル質より早く、健全なエナメル質を支持する象牙質がう蝕によって破壊された場合、エナメル質はその脆性のため、容易に歯から破折してしまう。

前歯。歯ぎしりのために、通常はエナメル質
の下に隠れている象牙質や歯髄が見える。

う蝕のみでなく、吐瀉物に含まれる酸や、工場空気中に含まれる酸などにより脱灰される場合もあり、これを酸蝕症と呼ぶ[52]

脱灰で失われるのみでなく、物理的な力により破壊されることも多い。この中で最も知られるものは、歯ぎしり、噛みしめなどによる、エナメル質の破壊であり、非常に早く進行する。咬耗によるエナメル質の減少は正常であれば年間8マイクロメートルである。一般に誤解されていることとして、エナメル質がすりへる主要な原因は咀嚼によるものだということがある。しかし、現実には、歯は咀嚼中滅多に触れ合わない。さらに、正常な咬合であれば、歯根膜や咬合の配置により、生理学的に補われる。本当に破壊的な力は、歯ぎしりのような動作である。これは咬耗症として、エナメル質に復元不可能な損害をもたらす。このほかの破壊の原因として、摩耗症(英語: Abrasion (dental)(歯ブラシのような外的な力による物)、アブフラクション、外傷中心結節などの歯の形態異常のほか、矯正治療によるブラケット除去時の亀裂などもある[52][53][54]。破折の最も軽い状態である亀裂については、加齢とともに増加し、40歳代以降では95%に見られるという報告や、50歳代以降では全ての歯に見られたとの報告がある[53][55]

なお、エナメル質を形成するエナメル芽細胞は、歯の萌出時にはすでに存在しないため、一度失われたエナメル質が再生することはない。また、エナメル質には神経が存在しないため、破壊がエナメル質のみに限局している場合、疼痛を感じることもない。

予防

エナメル質の脱灰の影響や毎日の砂糖の摂取への脅威は大きく、う蝕を予防することは歯の健康を維持し、良質な口腔衛生を保つ大切な方法である。ほとんどの国では、歯ブラシを一般的に使用し、エナメル質上の細菌や食物残渣を減らすことでう蝕を予防している。このほか、デンタルフロスなどを使用することもある。

フッ化物で満たされたトレイ

フッ化物がエナメル質に取り込まれ、耐酸性が向上することでう蝕への抵抗を示す直接的な作用と、う蝕原因菌による解糖過程を抑制することで酸の産生を減少させ、脱灰エナメル質を修復し再石灰化する間接的な作用によりう蝕を予防することが分かっている[56]。このため、水道水フッ化物添加食塩へのフッ化物濃度調整、フッ化物配合歯磨剤フッ化物歯面塗布フッ化物洗口など、多くの手段が用いられる[56][57]。このうち、特に水道水フッ化物添加は多くの面で非常に有効であるが、これについては、反対する人もあり、議論がなされている

歯ぎしり、噛みしめ等によるエナメル質の破壊を防ぐ方法としては、マウスピース薬物療法などが知られる。

また、近年では歯科用レーザーである Nd:YAGレーザーや炭酸ガスレーザー、Er:YAGレーザーとフッ化物歯面塗布を併用し、エナメル質の強化や耐酸性の強化を行う研究が進められている[58]

診断

エナメル質の状態を診査し、治療の必要性を判断することは重要である。エナメル質のう蝕や物理的な力による破壊に対する診断に最も一般的な方法は視診であるが、確実な診断のために、問診・医療面接による把握や探針デンタルフロスを用いた触診、咬翼法やオルソパントモグラフ(英語: Orthopantomogram歯科用コーンビームCTによるX線診断、光ファイバーを用いた透照診、ダイアグノデントなどのレーザーによる蛍光診断や電気抵抗値を測定する電気診などの方法が用いられる[59][60][61]

電気診

健全なエナメル質の電気抵抗は600kΩ以上であるが、エナメル質のう蝕が進行するに連れて電気抵抗が低下し、象牙質まで達すると250kΩ以下(小児では280kΩ以下)となる[59][62]。この電気抵抗をカリエスメーターを使用して測定することで診断する[59]

レーザーによる蛍光診断

ダイアグノデントやそれを改良したダイアグノデントペンは、波長655nmの半導体レーザーを利用してエナメル質などの歯質の蛍光強度を非侵襲的に測定することで健全なエナメル質とう蝕エナメル質を区別することができる[63]。特にダイアグノデントペンは隣接面う蝕用のチップを持つことから同部のう蝕の検出に有効であるとされており[64][65]、X線の被曝を可能な限り抑えたい小児歯科や[64]、在宅診療や集団歯科検診などの幅広い分野での診断への利用が期待されている[58]


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