医師過剰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 14:59 UTC 版)
医師過剰を懸念し、医師数抑制を最初に提起したのは厚生省ではなく、当時、超法規的強権を発揮していた第二次臨時行政調査会だった。具体的には、臨時行政調査会が1982年7月にまとめた「行政改革に関する第3次答申-基本答申-」の中で、「社会保障」の「医療費適正化と医療保険制度の合理化等」の項の「医療供給の合理化」の2番目に「医療従事者について、将来の需給バランスを見通しつつ、適切な養成に努める。特に、医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立する」と提言した。これを受けて、政府は同年9月の閣議で医師・歯科医師の養成計画について検討することを決定し、医師抑制策が政府決定となった。またそれ以前から、医師出身の医系議員が国会で医師過剰論を唱えていた。多くのマスコミも疑問を投じることなく「医師過剰」を事実として報道した。しかし、「医師過剰」の数字は1948年の医師数算定法に定められた「標準医師数」を根拠としており、1980年代の医療現場の実情に基づくものではなかった。当時の日本の対人口医師数は既にOECD諸国平均より低く、その後も他の先進国との差は広がっている。日本の対人口医師数が他の先進国の平均に追いついたことは未だかつてない。
※この「医師過剰」の解説は、「医師不足」の解説の一部です。
「医師過剰」を含む「医師不足」の記事については、「医師不足」の概要を参照ください。
- 医師過剰のページへのリンク