(9617) グレアム・チャップマン
(grahamchapman から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/24 01:17 UTC 版)
| グレアム・チャップマン[1][2] 9617 Grahamchapman |
|
|---|---|
| 仮符号・別名 | 1993 FA5 |
| 分類 | 小惑星 |
| 軌道の種類 | 小惑星帯 |
| 発見 | |
| 発見日 | 1993年3月17日 |
| 発見者 | UESAC |
| 軌道要素と性質 元期:2015年9月6日 (JD 2,457,272.3) |
|
| 軌道長半径 (a) | 2.224 au |
| 近日点距離 (q) | 1.9729 au |
| 遠日点距離 (Q) | 2.4762 au |
| 離心率 (e) | 0.1131 |
| 公転周期 (P) | 3.32 年 |
| 軌道傾斜角 (i) | 6.137 度 |
| 近日点引数 (ω) | 281.41 度 |
| 昇交点黄経 (Ω) | 165.58 度 |
| 平均近点角 (M) | 38.06 度 |
| 物理的性質 | |
| 自転周期 | 2.2856 時間 |
| 絶対等級 (H) | 14.7 |
| ■Template (■ノート ■解説) ■Project | |
(9617) グレアム・チャップマン(英語: Grahamchapman)は、小惑星帯に位置する二重小惑星。1993年3月17日にヨーロッパ南天天文台のウプサラ-ヨーロッパ南天天文台小惑星、彗星調査プログラム(UESAC)により発見された[1][2]。
2006年、オンドジェヨフ天文台による地球近傍天体天体測光プログラムにより、衛星を有することが発見された。衛星(S/2006 (9617) 1[3])の公転周期は約19時間。また、この観測により自転周期が約2.3時間で、ほぼ回転楕円体であることも確認された[4]。
2000年3月20日に命名された名称は[2]、イギリスのコメディグループモンティ・パイソンのグレアム・チャップマンに由来する[1]。他のメンバーも同様に小惑星名として採用されており、9617から9622までの一連の小惑星番号に付されている。加えて、モンティ・パイソンも小惑星の名称となっている[5]。
- (9618) ジョン・クリーズ
- (9619) テリー・ギリアム
- (9620) エリック・アイドル
- (9621) マイケル・ペイリン
- (9622) テリー・ジョーンズ
- (13681) モンティ・パイソン
出典
- ^ a b c Jet Propulsion Laboratory. “9617 Grahamchapman”. JPL Small-Body Database. NASA. 2016年4月6日閲覧。
- ^ a b c Robert Johnston. “(9617) Grahamchapman”. Asteroids with Satellites Database--Johnston's Archive. 2016年4月6日閲覧。
- ^ Stefano Tosi (2014-03-24). Le lune del sistema solare. p. 218. ISBN 9781291798708
- ^ “(9617) GRAHAMCHAPMAN”. Central Bureau for Astronomical Telegrams (2006年3月1日). 2016年4月6日閲覧。
- ^ Melissa Breyer (2013年11月19日). “6 ways Monty Python changed the world”. Mother Nature Network. 2016年4月7日閲覧。
外部リンク
- Citation for (9617)
- Astronomische Daten von (9617) Grahamchapman
- Ondrejov Asteroid Photometry Project
- ヨーロッパ南天天文台
| 前の小惑星 (9616) 1993 FR3 |
小惑星 (9617) グレアム・チャップマン |
次の小惑星 ジョン・クリーズ (小惑星) |
グレアム・チャップマン
(grahamchapman から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 14:35 UTC 版)
| グレアム・チャップマン Graham Chapman |
|
|---|---|
| |
|
| 本名 | Graham Arthur Chapman |
| 別名義 | Gray Chapman |
| 生年月日 | 1941年1月8日 |
| 没年月日 | 1989年10月4日(48歳没) |
| 出生地 | レスターシャー・レスター |
| 死没地 | ケント・メードストン |
| 国籍 | |
| 職業 | コメディアン 俳優 脚本家 内科医 |
| ジャンル | 映画 テレビ番組 |
| 活動期間 | 1960年 - 1989年 |
| 主な作品 | |
| 『空飛ぶモンティ・パイソン』 『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』 『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』 『ライフ・オブ・ブライアン』 『人生狂騒曲』 |
|
| 備考 | |
| 『モンティ・パイソン』 メンバー | |
グレアム・チャップマン(Graham Chapman, 1941年1月8日 - 1989年10月4日)は、イギリスのコメディアン、俳優。グラハム・チャップマンとも表記される。イギリスの代表的なコメディユニット、モンティ・パイソンのメンバー。
来歴
1941年1月8日、レスターにて、警官の父親ウォルターと母親のエディスの次男として生まれる。ケンブリッジ大学で医学を学びながら、コメディーサークル『ケンブリッジ・フットライツ』のメンバーとしてスケッチ(コント)を書き、舞台にも立っていた。ここで、その後のパートナーとなるジョン・クリーズと出会う。クリーズの最初の印象では、「いけ好かない野郎」であったという。しかしその後二人はコンビを組んで、コメディー番組『ザ・フロスト・レポート』や『アット・ラスト・ザ・1948・ショー』に参加。そして他の4人のメンバーと共にモンティ・パイソンを結成する。
1969年から1974年までBBCで放映された『空飛ぶモンティ・パイソン』は絶大なる人気を博した。同グループ製作の映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』では主役を演じた。
『モンティ・パイソン』後のソロ活動では『オッド・ジョブ』や『チーチ&チョン イエローパイレーツ』(タイトルにはチーチ&チョンとあるが、主演はチャップマンである)などを世に送り出したが、ヒット作には恵まれなかった。しかし、TV番組への出演や大学での講演会等を積極的に行い、健在ぶりを見せていた。
作風
普段は無口でシャイな紳士であったが、スケッチの作風は非常にアナーキー(故障した中古車を死んだオウムに置き換えるような)で暴力的であった。また、医者らしく『人生狂騒曲』の「臓器移植」のようなスプラッターな作品も多く残している。また、チャップマンにはひらめきの才能があった。脚本の執筆はほとんどジョン・クリーズが行っていたが、チャップマンがその場の思いつきで奇想天外なワン・アイデアを付け足すことで、非常におもしろいスケッチになることがよくあったという。
私生活
1970年代にはアルコール使用障害で仕事に支障が出ることもあった。メンバーは映画『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』の撮影中、瓶一杯だったはずが半分にまで減っているジンを発見し、その深刻さに気付いたという。『空飛ぶモンティ・パイソン』の第3シリーズのころにはセリフを覚えられず、数10テイク取り直すこともしばしばであった。また、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の登場シーンを見ると、登山家のはずのチャップマンが岩肌にしがみつきながらふらふらしているのが分かる。これは役作りではなく、本当にまっすぐ立てなかったためである。しかしあるとき、酒を飲んだ後階段から落ち怪我をしたのをきっかけに、1977年のクリスマスに禁酒と禁煙を決め、映画『ライフ・オブ・ブライアン』では立ち直っている。しかし長年にわたる悪癖がそのころには体を蝕んでいた。
当時のVTRや書籍などの中ではパイプを咥えている姿がよく見られる。
パイソンズのメンバーは気づいていたようだが、チャップマンは自分がゲイであることは公表していなかった。1972年に『Gay News』というゲイの新聞のサポーターとなり寄付や投書をした。現代でこそ、ゲイ・バイセクシュアルであることを公にしている著名人も多いが、70年代にしてジョージ・メリー(ジャズミュージシャン)がホストを務めた番組でカミングアウトしたことは当時としてはセンセーショナルであった。その数日後に友人宅で開かれたパーティーにてデイビッド・シャーロックを自分のパートナーとして紹介。2人は1966年に出会っており、映画の脚本などを共同で執筆していた。また、2人は合法的に養子を迎えている。
死去
1989年10月4日、48歳で死去。死因は喉頭癌とそれに伴う肺炎。彼の最期を看取ったのはパイソンズのメンバーだったジョン・クリーズとマイケル・ペイリン、パートナーのデイビッド・シャーロック、弟のジョンとその妻だった。テリー・ジョーンズとピーター・クックは同日見舞いには来ていた。人の死に目を見たことのなかったクリーズのショックは大きく、ほかの部屋まで付き添ってもらい休息しなければならない程だったと言われている。亡くなった日の翌日の10月5日は、奇しくも『空飛ぶモンティ・パイソン』が放送されて20年目のことだった。
葬儀は2ヵ月後に行われ、ジョン・クリーズが弔辞を読み上げた。弔辞は、グレアムを笑って送り出すためか、空飛ぶモンティ・パイソンの有名作『死んだオウム』をもじった一文があったり、中には「Fxxk」や、そのほかの汚い言葉も使われていた(チャップマンが今際の際にクリーズに言伝ていたという前置きのもと)。その後、映画『ライフ・オブ・ブライアン』の劇中歌であった「Always Look on the Bright Side of Life」が、エリック・アイドルの伴奏で歌われた。
死後、パイソンズ結成30周年直前のイベントにパイソンズが出席した際に、司会者のロバート・クラインの「彼に会いたかった」という台詞を受け、彼の遺灰を収めた骨壷が登場したが、ギリアムが骨壷を蹴り飛ばし、灰が会場一面に撒き散らされた(しかも、その際パイソンズの面々がチャップマンの遺灰を集めるために使ったのは、ほうきに塵取り、掃除機であった)。また、その際に、ジョン・クリーズが唾をつけた指で遺灰を口にし、マイケル・ペイリンに「食うな!」と言われている。
自伝とその映画化
自伝に『A Liar's Autobiography Volume IV』があり、自分がアルコール使用障害から立ち直るまでの道のりなどが得意げにつづられている。2012年には、この自伝が3Dアニメーション映画化され、アイドル以外のパイソンメンバーが製作に携わっている。また、生前に録音された自身の肉声も使用されており、実に死後23年を経た新作主演映画となった。この作品の3人の監督のうちの1人が、テリー・ジョーンズの息子ビル・ジョーンズである。また、アニメーションと同スタッフにてドキュメンタリー、 Graham Chapman: Anatomy of a Liarも製作された。
主な作品
テレビ番組
- アット・ラスト・ザ・1948・ショー At Last the 1948 Show (1967年 - 1968年) - DVD題「モンティ・パイソン・レアリティーズ アット・ラスト・ザ・1948・ショウ」
- 空飛ぶモンティ・パイソン Monty Python's Flying Circus (1969年 - 1974年)
映画
- マジック・クリスチャン The Magic Christian (共同脚本、出演(ノンクレジット)。1969年)
- モンティ・パイソン・アンド・ナウ And Now for Something Completely Different (脚本、出演。1971年)
- モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル Monty Python and the Holy Grail (脚本、出演。1975年)
- オッド・ジョブ The Odd Job (脚本、出演、プロデューサー。1978年、日本未公開)
- ライフ・オブ・ブライアン Monty Python's Life of Brian (脚本、出演。1979年)
- モンティ・パイソン・ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル Monty Python Live at the Hollywood Bowl (脚本、出演。1982年)
- 人生狂騒曲 Monty Python's the Meaning of Life (脚本、出演。1983年)
- チーチ&チョン イエローパイレーツ Yellowbeard (脚本、出演。1983年)
- モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝 A Liar's Autobiography: The Untrue Story of Monty Python's Graham Chapman (声の出演、原作、脚本。2012年)
関連項目
- グレアム・チャップマン (小惑星) - 小惑星番号9617。他のメンバーや、モンティ・パイソンの名前も小惑星名に使われている。
外部リンク
- grahamchapmanのページへのリンク