USリュゼナック時代
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「リュゼナックAP」の記事における「USリュゼナック時代」の解説
1992年、クラブはUSリュゼナック(Union Sportive de Luzenac)と改称された。1999-2000シーズンのディビジョン・ドヌールに優勝しフランスアマチュア選手権2(フランス語版)(CFA 2、5部)に昇格すると、2002-03シーズンにはフランスアマチュア選手権(CFA、4部)に昇格。この時は1シーズンで降格したものの、2005-06シーズンに4部に返り咲くと4シーズンに渡りこれを維持し、2008-09シーズンでアマチュア選手権Cグループ優勝を飾り、3部フランス全国選手権への昇格を決めた。 1980年に3部に昇格した際とは異なりフランス全国選手権は全国リーグであり、このカテゴリで戦うためにはクラブの体制を全国仕様に改革する必要があった。戦力面では、これまで村内の労働者が選手の中心であったのを改めて外部へのスカウト活動を本格化させ、ミディ=ピレネー地域圏の首府であり大学都市として知られるトゥールーズの学生選手や、同地域で唯一のリーグ・アン所属クラブであるトゥールーズFCの下部組織で淘汰された若手選手を受け入れ戦力強化を図った。全国選手権での初年度となる2009-10シーズン(fr:Championnat de France de football National 2009-2010)をリュゼナックは20クラブ中10位で終えるも次シーズンを前に資金難に陥り、降格処分の危機に立たされたが、この時100万ユーロを投じクラブを買収し降格を防いだのが新会長となる資本家ジェローム・デュクロ(Jérôme Ducros)であった。また、従来のホームスタジアムであるスタッド・ポール・フェドゥは設備や観客収容人数等のいずれの面においてもリーグの基準を満たさないものであったため、2011-12シーズンから、リュゼナックから約40kmに位置するアリエージュ県の県都フォワのスタッド・コルベをホームゲーム開催スタジアムとして使用することとなった。
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