TV番組「アーサー・マレー パーティ」
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「キャサリン・マレー」の記事における「TV番組「アーサー・マレー パーティ」」の解説
1950年7月20日 - 1960年9月6日にかけて開催されたアメリカのテレビ番組。15分、30分、60分の構成だった。デュモンネットワークで始まり、その後10年かけてABC、CBS、NBCで放映。12年間続いた。アメリカ議会図書館のJ.フレッドとレスリー・W・マクドナルド・コレクションには、13のキネスコープ・プログラムと、アーサー・マレーのさまざまなテレビ番組の一部プログラムが収録されている。 インタビューで、キャスリンはテレビスターになるという考えに当初は消極的だったと語っている。「私はアーサーに尋ねた。『あなたがダンスを教えるつもりですか?」 と。彼は言った。『いや、君だよ!」って。私が 『テレビに出るには美人でなければならないわ』 と言うと、アーサーは 「セットが小さいし、受信状態が悪いから美人かどうか違いは分からないよ」と言ったのよ」 この番組は、夫妻はもちろんのこと、アーサー・マレースタジオのプロが参加し、ジッターバグ、フォックストロット、ポルカ、チャチャ等のダンスを視聴者に披露した。ショーは大規模なパーティーのように企画され、キャスリンはスポーツスターから俳優やミュージシャンまで、様々なゲストを迎えた。現在のDancing with the Starsのようなテレビ番組でも社交ダンスが脚光を浴びているが、この番組は、半世紀以上前に同じことをしていた。 テレビ司会者として、キャスリンはショーの中心だった。彼女はアーサーと踊ったり、歌ったり、コメディスケッチを紹介したり、ダンスコンテストを主催したりした。「ショーの一環として、私はトリックホースに乗ったり、熊と格闘したり、プロとローラースケートをしたりさえしました。」と彼女は思い出した。番組の最後にキャサリンは視聴者に向かって 「人生を少し楽しんで。ぜひ踊ってみてください」 と言ってから、彼女の夫に向き直り、彼とヨハン・シュトラウスのワルツを踊った。 シラキュース大学の公共テレビ研究センターの設立者であるトンプソン氏は、この番組を初期のインフォマーシャルであると言及している。 ゲストにはミルトン・ベルやヘレン・ヘイズがいた。しかし、シカゴ・トリビューン紙の記事が数年前に指摘していたように、バディ・ホリーとザ・チャーピング・クリケッツのような時折奇妙なゲストもいた。キャスリンは、バンドを「ロックンロールのスペシャリスト」と紹介し、「若者が何を求めているのか、心を開いて考えなければならない。そうでなければ、若者たちはあなたが彼らを理解していると感じないでしょう。」と言って、彼らの行動を予め判断しないよう観客に呼びかけた。ホリーとクリケッツは「ペギー・スー」へと旅立ったが、ショーのキャストとダンサーは全員正装していて、背景にじっと立っていて、ロックンロールが彼らのアリーナに侵入してきたことに満足していないようだった。
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