T200型
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WRCでは1994年の1000湖ラリーから参戦予定だったが、直前になっても車両の開発状況が思わしくなかった。特にスーパーストラットサスによるハンドリングチューンは難航し、結局ラリー・オーストラリアでのデビューとなる。この年は前半がST185であったこともあり、トヨタにとって2年連続2冠制覇となった。また同年はディディエ・オリオールがフランス人初のドライバーズチャンピオンに輝いている。 しかし、重い車体と決まらないハンドリング、縮小されたリストリクターによる出力低下にチームとドライバーは悩まされ続け、WRCの勝利は1995年のツール・ド・コルスのみ。コルシカでは、最低重量を下回るまで軽量化が進むが、出力低下には対応出来ず、同年のラリー・カタルーニャで、リストリクターに車両規定に違反する細工が施されていたことが発覚。これはターボをクランプするとリストリクターがスライドし、その隙間から多量の吸気を得られるというものであった。結果、この年の全ポイント剥奪およびWRCへの1年間の出場停止処分がFIAによって下され、ST205型でのトヨタのWRC活動は2年足らずで終了した。出場停止期間に加えもう一年活動を自主的に休止したトヨタは1998年にWRCに復帰するが、この時新規定であるWRカーのカローラWRCを採用したため、結局セリカでのワークス活動は1995年が最後となっている。 このことからセリカのモータースポーツ史では汚点のような扱いを受けているST205型だが、パイクスピーク・ヒルクライムではコースレコード含む3度の総合優勝を記録し、ヨーロッパラリー選手権(ERC)でもアルミン・シュヴァルツが年間王者を獲得するなど、実は華々しい実績も多く残している。またJGTCのGT300クラスでもRACING PROJECT BANDOHが、JTCCのコンポーネントを流用して前輪駆動車として運用し、2度の優勝を挙げてシリーズランキングでも2位と3位につける活躍を見せた。
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