Squire Vickers(1906–1942年)
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「ニューヨーク市地下鉄駅のタイル」の記事における「Squire Vickers(1906–1942年)」の解説
1906年、当時若手のアイティストであったSquire J. Vickersが雇われた。VickersはHeinsとLaFargeに非常に尊敬の念を示していたが、彼の作品ではモザイクがかなり多くなっており、清掃を簡単にするという理由からレリーフを用いなかった。Vickersはまた、HeinsとLaFargeが駅名を表示する額石に使用したフォントを継承したが、Vickers自身が新しく作成した額石ではその縁のタイルアートはよりシンプルなものになっている。 彼の描画作品においては、HeinsとLaFargeはビーバーや帆船など歴史的シンボルを描いたのに対し、Vickersはブルックリン区庁舎(英語版) (1919) やボロー・ホール駅をカラフルに描いた作品など実際の建物をランドマークとして強調した。彼は自身の技術に関して次のように述べている: 「 "...モザイクは様々な形状がちりばめられている。つまり、その本体は筋状に焼き目を入れられ、釉薬を塗られ、不規則な形に砕かれた。そのデザインは手作業で行われ、表面に紙を貼られた区画にはめ込まれた。これらの区画は壁に設置され、タイルが貼られた。幾つかの駅では彩られた帯と駅名の額石モザイクと手作りのタイルの組み合わせとなっている。" 」 1930年代を通じて、Vickersはいくつかの琺瑯の標識を都市高速交通会社 (IRT) およびブルックリン=マンハッタン交通会社 (BMT) のために、Nelke SignsおよびBaltimore Enamel Companyの両社から注文した。これらの標識は、利用者がすぐに駅名を見つけられるように、桁および鋳鉄の柱の上に設置された。短縮された駅名は、凝縮された大文字のサンセリフ体で琺瑯の標識に記されている。 Vickersはこの地下鉄の標識プロジェクトを1942年まで36年間続けた。
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