NupediaとWikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:40 UTC 版)
「ラリー・サンガー」の記事における「NupediaとWikipedia」の解説
Nupediaはウェブ・ベースの百科事典で、専門家によって執筆された記事をフリーなコンテンツとして提供するものだった。ジミー・ウェールズによって設立され、ドット・コム企業Bomisの賛助を得た。編集主幹として雇用されたサンガーは、他の編集者を募り、記事のレビューのプロセスを考案した。Nupediaの遅々とした進行に疑問を抱いたサンガーは、2001年1月にウィキを用いて執筆編集作業を効率化することを提案する。この提案を形にしたものが2001年1月15日に公式発足した英語版ウィキペディア(以下、単に「ウィキペディア」)である。 サンガーはNupediaの活動の中心的存在であったため、ウィキペディア立ち上げの際には先頭にたってプロジェクトを進行し、名付け親となり、基本的な方針の大部分の構想を行った。この中には「あらゆるルールを無視せよ」および「中立的観点」というポリシーも含まれている。サンガーは2001年1月15日から2002年3月1日までの期間、ウィキペディアで唯一の報酬を受け取る編集者だった。2002年2月にBomis社がサンガーの給与支払いを停止するまでNupediaとウィキペディア双方で働くとともに宣伝活動も行い、3月1日にNupediaの編集主幹およびウィキペディアのチーフ・オーガナイザーの職を辞した。サンガーは両プロジェクトでボランティアとして参加することをやめた理由として、パートタイムのボランティアでは満足に参加することができないからだと語っている。 Nupediaはその翌年閉鎖した。 2004年12月、サンガーはウェブサイトKuro5hinにおいて、「プロジェクト内部に社会的・政治的に有害な雰囲気が存在」しており、そのことも彼の離脱の原因となっていると述べた批判記事を発表した。「ウィキペディアのメリットは十分に評価する」として「その使命と基本的なポリシー」はよく理解しており支持する、としながらも、このプロジェクトには深刻な問題があると述べている。彼によれば、このプロジェクトは信頼性において一般的な認知がなく、「問題のある人々、荒らし行為をする人々、そしてその機会を与える人々」に檜舞台を提供するものになっている。こうした問題(→ウィキペディアへの批判)は、このプロジェクトの「反エリート主義、換言すれば専門的知見に敬意を払わないこと」の帰結であると述べている。この記事はブロゴスフィアにおいてさまざまな反響を呼び、ニュース・メディアでも取り上げられることとなった。
※この「NupediaとWikipedia」の解説は、「ラリー・サンガー」の解説の一部です。
「NupediaとWikipedia」を含む「ラリー・サンガー」の記事については、「ラリー・サンガー」の概要を参照ください。
- NupediaとWikipediaのページへのリンク