NIPPON (グラフ誌)とは? わかりやすく解説

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NIPPON (グラフ誌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 00:15 UTC 版)

NIPPON』(にっぽん)とは、日本工房[注 1]が編集・発行した日本グラフ誌である。1934年 (昭和9年) 10月20日に創刊された[6]。以後、確認されているだけで、1944年 (昭和19年) 9月までに36冊(特別号『日本の手仕事』含む)が発刊された。


脚注

  1. ^ 1933年 (昭和8年) 7月、名取洋之助木村伊兵衛原弘伊奈信男岡田桑三によって設立された同人組織[1]。東京銀座の徳田ビル内に事務所を置いた[1]。日本工房は、都合3回の解体と再建を繰り返した。意見の相違で1934年 (昭和9年) 1月には岡田が脱退、その後次々とメンバーが脱退し、結成から1年も経たないうちに日本工房は空中分解してしまう[2]。脱退したメンバーは同年5月に『中央工房』を設立、一方、最後に1人残った名取は、別個に日本工房を再建した[3]。『NIPPON』は、再建された、第2次日本工房による発行・編集の雑誌である。対外宣伝業務が忙しくなった第2次日本工房は1939年 (昭和14年) 5月に株式会社化され、国際報道工芸株式会社へ、さらに1943年 (昭和18年) には国際報道株式会社へ改組された[4]。戦後になってから日本工房は再建されている。日本工房 (第3次日本工房) が再建されたのは、1954年 (昭和29年) 6月3日のことである[5]。この時は、名取と内藤初穂が共同して再建、東京・神田淡路町に事務所を置いたが、1956年 (昭和31年) 3月に名取は第3次日本工房から手を引いた[5]。これ以後の日本工房は、内藤が面倒をみることになった。
  2. ^ 福島県立美術館で開催された展覧会図録も兼ねる。
  3. ^ 増刊号は、日本の手仕事、日本語版1936、日本語版1937、日本版第1巻 第1号・第2号

出典

  1. ^ a b 白山眞理、堀宜雄 編『名取洋之助と日本工房 [1931-1945]』岩波書店、2006年2月10日、6頁。ISBN 4-00-024156-7 
  2. ^ 『名取洋之助と日本工房』pp.7-8.
  3. ^ 『名取洋之助と日本工房』p.8.
  4. ^ 『名取洋之助と日本工房』pp.96, 130.
  5. ^ a b 『名取洋之助と日本工房』p.172.
  6. ^ a b c 『名取洋之助と日本工房』p.10.
  7. ^ 『名取洋之助と日本工房』viii
  8. ^ a b c d e 『名取洋之助と日本工房』
  9. ^ 『名取洋之助と日本工房』xviii, p.26.
  10. ^ 『名取洋之助と日本工房』viii.
  11. ^ 『名取洋之助と日本工房』viii-xv.
  12. ^ a b 『名取洋之助と日本工房』x.
  13. ^ 『名取洋之助と日本工房』ix.
  14. ^ 『名取洋之助と日本工房』ix-x.


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