NHの経営者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/22 06:30 UTC 版)
「チャールズ・サンガー・メレン」の記事における「NHの経営者として」の解説
クラークが1900年にNHの社長を辞任したとき、メレンはそれについて調査をしたが、モルガンはメレンをNPに必要な人物として社長に留め置いた。1903年までにモルガンの考えは変化した。NHの社長にメレンを指名し、ニューイングランド州におけるモルガニゼーションに着手した。モルガニゼーションとは鉄道会社の財務体質を改め、信頼できる者に経営させ、鉄道事業の再建を図りながら鉄道の独占による利益の拡大を目指すもので、これをニューイングランドの鉄道、汽船、路面電車などの交通機関に敷衍し、ニューイングランドの交通機関の独占を図った。 NHは利益の出なさでは特筆すべき存在のニューヨーク・オンタリオ・アンド・ウェスタン鉄道( New York, Ontario and Western Railroad、OW)までも買収。B&Mを強引に買収しようとしたようなメレンの手法は批判を招き、のちに合衆国最高裁判所の裁判官となったルイス・ブランダイスとの交通機関の独占を巡る論争に発展した。ブランダイスは反トラストの急先鋒として、モルガン陣営を追求していた人物である。 NHの社長となったメレンはニューイングランドの鉄道の再編、統合と近代化を断行した。メレンの手法では多額の買収費用と裏金を要し、建設費は高騰し、多額の借金を残した。モルガンのパートナーであるジョージ・パーキンス( George Walbridge Perkins)が1908年5月に書いたモルガン宛の書簡によれば、「私はこの数年間、メレンがNHの財政を混乱させていると感じているし、一般的な認識もそうだと思う」としている。 NHがモルガニゼーションに失敗したことは、モルガンを困惑させた。メレンとモルガンのとった運輸の独占という経営策はNHを系列会社336、従業員12万5000人という規模にまで拡大してしまう。経営が圧迫されたしわ寄せは保線の省略を招き、事故が続発するようになる。ついには財政上のトラブルを招き、1935年に倒産に至る。ニューイングランドにおけるメレンのモルガニゼーションの結果として、メレンはメーン・セントラル鉄道、OW、B&Mの社長も兼任した。
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