帝亜丸
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帝亜丸(ていあまる)は、1942年から1944年にかけて日本郵船が運航した貨客船。前身はフランス船アラミス(フランス語: Aramis)で、第二次世界大戦の影響により帰国不能となってフランス領インドシナに滞留していたところを日本海軍が秘密協定にもとづいて借受け日本郵船に運航を委ねた。日本では交換船や軍隊輸送船として使用されたが、1944年8月18日にアメリカ海軍潜水艦の攻撃で沈没し、乗船者2,000人以上が死亡した。
- ^ 竣工時14,500IHP[1]、1935年の機関改装後15,600CVとする資料もある[4]。
- ^ 竣工時18ノット[1]、1935年の機関改装後19ノットとする資料もある[4]。
- ^ 加藤外松駐仏大使は同年2月11日に事故死。
- ^ 日本側でも、陸軍現地部隊が、1月には遅延を嫌って強制的な徴用を上層部に進言していた[12]。
- ^ ただし、1943年前半に帝興丸と帝美丸(大阪商船運航、10,086トン/旧仏船Bernardin de Saint Pierre)が陸軍輸送船となっており、帝美丸は同年4月30日に解傭されたが、帝興丸は最後まで陸軍輸送船として活動した。
- ^ 軍人・民間人・船員総計5,478人のうち2,369人[25]。
- ^ 軍人・民間人・船員総計5,483人のうち、輸送中の陸軍部隊2,569人、民間人32人、陸軍船舶砲兵25人と海軍船舶警戒隊6人、船員53人[24]。
- ^ 陸軍部隊2,316人、民間人275人、陸軍備砲隊4人、海軍船舶警戒隊6人、監視隊10人、船員54人[20]。
- ^ a b c d e f g h i j k l 竹野(2007年)、110頁。
- ^ 陸軍運輸部残務処理部 『船舶輸送間における遭難部隊資料(陸軍)』 1946年5月25日 JACAR Ref.C08050112500 画像30-31枚目。
- ^ a b c Miller (1997), p.34
- ^ a b c d e L'ARAMIS futur-TEIA MARU(2011年11月27日閲覧)
- ^ a b c 貨物部総務課長 児玉忠康 「運航受託船帝亜丸及帝興丸の件」 1942年6月30日 JACAR Ref.C08050011300 画像1-7枚目。
- ^ Teia_Maru_class
- ^ 芳澤謙吉 駐仏印大使 「第6号 対日輸出に関する仏印側船舶徴用の件」 1942年1月3日 JACAR Ref.B09030198500 画像15枚目。
- ^ 東郷茂徳 外務大臣 「第22号 仏印船舶傭船に関する件」 1941年1月21日 JACAR Ref.B09030198500 画像2枚目。
- ^ 林 総領事 「第215号(外機密)」 1941年6月12日 JACAR Ref.B09030198500 画像8枚目。
- ^ 原田 駐仏代理大使 「第104号 仏船傭船問題の件」 1942年2月26日 JACAR Ref.B09030198500 画像80-81枚目。
- ^ 加藤外松 駐仏大使 「第57号 傭船問題に関する件」 1942年2月3日 JACAR Ref.B09030198500 画像56-57枚目。
- ^ 内山 公使 「第29号 仏国船徴用に関する件」 1942年1月13日 JACAR Ref.B09030198500 画像17-18枚目。
- ^ 栗山 事務総長 「第480号の1 仏国傭船問題」 1942年4月6日 JACAR Ref.B09030198600 画像62枚目。
- ^ 内山 公使 「第353号 仏印傭船問題に関する件」 1942年4月11日 JACAR Ref.B09030198700 画像13枚目。
- ^ 内山 公使 「第514号 仏印傭船問題」 JACAR Ref.B09030198700 画像23枚目。
- ^ 「徴用実施基礎協定」 JACAR Ref.B09030198700 画像63-67枚目。
- ^ 貨物部総務課長 児玉忠康 「運航受託船帝亜丸及帝興丸の件」 1942年10月5日 JACAR Ref.C08050011300 画像12枚目。
- ^ 内山 公使 「第352号 仏船傭船問題に関する件」 JACAR Ref.B09030198700 画像12枚目。
- ^ 東郷茂徳 外務大臣 「第514号 仏船徴用に関する件」 1942年4月13日 JACAR Ref.B09030198700 画像20枚目。
- ^ a b c d e 竹野(2007年)、111頁。
- ^ 大内(2004年)、160-162頁。
- ^ a b 陸軍運輸部残務処理部 『船舶輸送間における遭難部隊資料(陸軍)』 1946年5月25日 JACAR Ref.C08050112500 画像30-31枚目。
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(2011年11月28日閲覧)
- ^ a b 駒宮(1977年)、306-307頁。
- ^ 駒宮(1987年)、225-226頁。
- ^ 大内(2004年)、339頁。
「MS Aramis」の例文・使い方・用例・文例
- TSO(前HMSO)は、現在は私企業であり、ウィリアムリーグループに属している。
- 「MS. とは何を表わすのですか」「Manuscript(原稿)を表わします」.
- 食品製造業者は単に成分リストの'人工調味料'として時々MSGを記載する
- MSXパソコンという,テレビゲーム用のコンピューター
- CMSセンターという,短期資金の効率的運用のための機関
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)や東京工業大学などの団体からなる研究チームが三陸の東方800キロで3つの海底火山を調査した。
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)やいくつかの大学の研究者の共同チームは,地球上の全海洋生物種の約7分の1が日本にいることを発見した。
- JAMSTECの藤(ふじ)倉(くら)克(かつ)則(のり)博士は「日本に多様な海洋生物が存在するのは,日本近海にはさまざまな潮流や水温があり,干潟などの地形にも恵まれているからだろう。」と話した。
- 16日間のミッションにおけるエンデバーのおもな任務の1つはアルファ磁気スペクトロメータ2(AMS-02)を国際宇宙ステーション(ISS)に運ぶことだ。
- AMS-02は,宇宙線を計測することにより反物質や暗黒物質を探索することを目的としている。
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)はこの計画に深海掘削船「ちきゅう」を使用している。
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)は,有人潜水調査船「しんかい2000」を神奈川県藤(ふじ)沢(さわ)市(し)にある新江(え)ノ(の)島(しま)水族館に貸し出すことを決めた。
- 国境なき医師団(MSF)インターナショナルのジョアンヌ・リュー会長は西アフリカで10日間の視察を行った。
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