Johann Peter Pixisとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > ピティナ・ピアノ作曲家 > Johann Peter Pixisの意味・解説 

ピクシス

【英】:Pixis, Johann Peter
[ドイツ]  1788~1874

2008年10月 執筆者: 齊藤 紀子

 ドイツ作曲家作曲家オルガン奏者父親から音楽の手ほどきを受けた次男のピクシスは、兄もまた作曲家となった。兄はヴァイオリン弾き、ピクシスはピアノ弾いた。兄と演奏旅行をしてピアニストとして有名になったが、ピクシス自身ヴァイオリンチェロを弾くことができた。
 19世紀に入ると一家ウィーンに移る。そして、ピクシスはベートーヴェンマイアベーアシューベルト出会った。後にパリ移り、そこではハイネケルビーニモシェレスリストベルリオーズロッシーニ出会っている。パリではヴィルトゥオーソとしてその名を馳せピアノ教育者としても活動した晩年バーデン・バーデン過ごした
 作品大部分ピアノ曲となっており、コンサート・ピースとサロン向き小品がある。

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

室内楽

管弦楽ピアノ


ヨハン・ペーター・ピクシス

(Johann Peter Pixis から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/27 05:29 UTC 版)

ヨハン・ペーター・ピクシス
Johann Peter Pixis
基本情報
生誕 1788年2月10日
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領マンハイム
死没 (1874-12-22) 1874年12月22日(86歳没)
ドイツ帝国
バーデン大公国バーデン=バーデン
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト作曲家

ヨハン・ペーター・ピクシス(Johann Peter Pixis, 1788年2月10日 - 1874年12月22日)は、ドイツピアニスト作曲家

生涯

ピクシスはマンハイムに生まれた。父のフリードリヒ・ヴィルヘルム・ピクシス(Friedrich Wilhelm-)はマンハイムでオルガニストを務めており、ゲオルク・ヨーゼフ・フォーグラーの弟子であった[1]。兄のフリードリヒジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ門下のヴァイオリニストであり、プラハへ赴き音楽水準の向上に貢献した人物であった。

ピクシスはウィーンで過ごしていた時期に、ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーに作曲を師事している。同地ではベートーヴェンマイアベーアシューベルトらと交流した。彼は途中に短期間外部へ赴いたことを除き1823年までウィーンで暮らしており、同地でオペラ作曲家として身を立てることを目指したが、うまくいかなかった。一時期ミュンヘンに居住した後、ピクシスは1825年から1845年の間をパリで過ごしてコンサートピアニストとして活躍した。キャリアの絶頂期にあたる1830年頃には、彼は同時代で最も成功したピアニストの1人であるとみなされていた。パリではフランツ・リストの父アダム・リストが、カール・チェルニーに宛ててピクシスの態度に対する不満を書き送っている。初の演奏旅行の途上にあった彼らに対し、ピクシスは「遜るということをせず(中略)このような態度は非難の的になるであろう[1]。」という内容であった。ピクシスは1845年からバーデン=バーデンに移り、公の活動からはほとんど身を引き、同地で没するまでピアノ教師として働いた。

ピクシスは多くの楽曲を作曲したが、中でもフランツ・リストがまとめ役となって共同制作された「ヘクサメロン変奏曲」に6人の作曲家のひとりとして参加したことが知られる。それ以前にも1819年から1823年に51人の作曲家によって作曲された合作「ディアベリのワルツによる変奏曲集」にも参加している。この作品は単独で出版されることになったベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」と同じ主題に基づくものである。ショパンは「ポーランド民謡による大幻想曲」 Op.13をピクシスへ献呈している[1][2]

主要作品

オペラ

タイトル ジャンル 幕数 台本 初演地 初演年
Almazinde oder die Höhle Sesam ロマンティック・オペラ 3幕 ハインリヒ・シュミット ウィーン 1820年4月11日
Der Zauberspruch ロマンティック・オペラ 2幕 カルロ・ゴッツィ ウィーン 1822年4月25日
Bibiana oder Die Kapelle im Walde ロマンティック・オペラ 3幕 ハインリヒ・クーノの中編小説のLouis Lax アーヘン 1829年8月8日
Die Sprache des Herzens オペレッタ 1幕 ヨハン・ペーター・リザードイツ語版 ベルリン 1836年1月15日

器楽曲

  • ピアノ協奏曲 変ホ長調 Op.68 (1826年、ライプツィヒ)
  • ピアノ協奏曲 ハ長調 Op.100 (1826年、ウィーン)
  • ピアノ四重奏曲 Op.4
  • ピアノ五重奏曲 Op.99
  • 大ピアノ三重奏曲 Op.75
  • 大ピアノ三重奏曲第2番 Op.86
  • 大ピアノ三重奏曲第3番 Op.95
  • 大ピアノ三重奏曲第4番 Op.118
  • 大ピアノ三重奏曲第5番 Op.129
  • 大ピアノ三重奏曲第6番 Op.139
  • 大ピアノ三重奏曲第7番 Op.147
  • ピアノと管弦楽のための軍隊幻想曲 Op.121 (1833年、ライプツィヒ)

脚注

出典

外部リンク



「Johann Peter Pixis」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Johann Peter Pixis」の関連用語

Johann Peter Pixisのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Johann Peter Pixisのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
社団法人全日本ピアノ指導者協会社団法人全日本ピアノ指導者協会
Copyright 1996-2025 PianoTeachers' National Association of Japan
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハン・ペーター・ピクシス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS