HH-60D ナイトホーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:34 UTC 版)
「HH-60 ペイブ・ホーク」の記事における「HH-60D ナイトホーク」の解説
1978年、アメリカ空軍は、戦闘捜索救難(CSAR)任務に用いていたHH-3およびHH-53の後継機を調達するためのH-X計画を開始した。この計画では、HH-53Hで実用化されたペイブロウIIIシステムを搭載しつつ、HH-53よりも小さい機体であることが求められていた。搭載母機の候補はUH-60Aしかなかったため、開発の主眼は、この機体に如何にしてペイブロウIIIシステムを搭載するかという技術的問題に集約されており、1982年には、海軍のLAMPSヘリコプター(SH-60B)のシステム開発を担当していたIBM社が、H-X計画のミッション・システム・インテグレータとして選定された。 この機体はHH-60D ナイトホークと称されており、当初予定では1986年より部隊配備を開始して、合計243機を調達する予定であった。機体の小型化に伴ってHH-53Hより航空機関士(FE)が1名削減されたことから、省力化も兼ねてグラスコックピット化が図られた。またLANTIRNシステムの地形追従レーダー(英語版)を元にしたマルチモード・レーダーや、P-3C哨戒機のAN/AAS-36を元にしたFLIR、SH-60Bの搭載システムを元にした自動操縦システムなど、充実したアビオニクスが搭載される予定であった。しかしこのように装備を充実させた結果として価格は高騰し、1983年には合計調達数を155機に削減するとともに、うち86機を悪天候作戦能力などを削除した簡易型のHH-60Eとすることになった。そして結局、1984年にはHH-60D・Eともにキャンセルされ、HH-60Dは試作機(82-23718)1機が完成したのみであった。 HH-60Dのキャンセルとともに、HH-60Dからマルチモード・レーダーやヘッドマウントディスプレイを削除するなど装備を更に簡素化したHH-60Aを90機調達するように計画が変更された。これを受けて上記のHH-60D試作機はHH-60A仕様に改装されて1985年7月3日に初飛行したが、財政的な問題から、結局はこちらの調達も実現しなかった。
※この「HH-60D ナイトホーク」の解説は、「HH-60 ペイブ・ホーク」の解説の一部です。
「HH-60D ナイトホーク」を含む「HH-60 ペイブ・ホーク」の記事については、「HH-60 ペイブ・ホーク」の概要を参照ください。
- HH-60D ナイトホークのページへのリンク