FUJI BIKES
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FUJI BIKES(フジバイクス)は、日本で誕生し100年以上の歴史を持つ、現在はアメリカのアドバンス・スポーツ(Advanced Sports, Inc. )の自転車ブランドである。日本ではかつての名称「日米富士自転車株式会社」で知られている。
沿革
- 1899年11月 - 創業者岡崎久次郎が日米商店と号し東京府京橋区竹河岸(現在の東京都中央区京橋3丁目5番)にて米国製懐中電灯の輸入販売を始める。取扱い品目は探検電灯、医療電灯、机上電灯、手提用・自転車用電灯、盗難予報機など。売捌所を京橋区南金六町7番地(現在の東京都中央区銀座8丁目9番15号)の宇都宮回漕店内、および横浜市相生町(現在の同市中区尾上町)の井桁屋に設置。
- 1903年 - 販売の主力を自転車とカメラにおく。自転車の取扱い品目をウルフアメリカン、スタンホード、スターリングに拡大。スターリング車の特約店を各地に設置。
- 1904年3月 - 本店を銀座3丁目9番地(現在の松屋の角)に移転。
- 1904年11月 - 東京バイシクル秋季大会でスターリング乗車の久保田が三回連続優勝。
- 1906年1月 - 店主がイギリスに渡り、ラーヂ自転車の直輸入契約締結。
- 1906年6月 - 九州日日新聞主催「九州一周千マイルレース」でスターリング乗車の吉井が優勝。
- 1906年12月 - 店舗を銀座2丁目1番地に移転、倉庫を三十間堀一丁目(現在の銀座4丁目)に設置。
- 1928年6月 - 従来の商標「ラーヂ」を「富士」に改称。
- 1951年3月 - ニューデリーで開催された第1回アジア競技大会に「冨士レーサー」を使用した杉原が1000メートルタイムレースで優勝。株式上場。店頭売買開始。
- 1951年8月 - 商号を日米富士自転車株式会社と改称。通販部を分離独立、旧称号「株式会社日米商店」を用いる。樽見岩雄が冨士フェザー号で富士登山に成功。
- 1951年12月 - 競輪用タンデムを発売。
- 1961年5月 - 「富士ダンディ」発売。
- 1968年4月 - 「富士フラッシャーシリーズ」「富士ジョッキーシリーズ」発売。
- 1971年 - 富士アメリカ(Fuji America )を設立、輸出台数を拡大。
- 1971年3月 - ニューヨークで開催のインターナショナル・バイシクルショーにフジ・ニューエスト・ファイネスト等のスポーツ車出品。
- 1972年 - 「Fuji」ブランド輸出開始。
- 1973年6月 - 「富士カルダン」発売。
- 1974年 - 全米コンシューマーレポートランキングで1位獲得。
- 1976年 - 全米コンシューマーレポートランキングで1位獲得。
- 1977年5月 - 「第1回フジサイクル・グランプリ・ロードレース大会」を開催。
- 1980年 - 全米コンシューマーレポートランキングで1位獲得。
- 1980年11月 - 米誌「コンシューマー・レポート」の自転車テストでロードレーサー「S12S」が1位獲得。
- 1980年代 - ロードレーサーやランドナー、スポルティーフなどのオンロード車には「Olympic」、MTBには「Mount Fuji」のブランドを冠して展開していたほか、ジーンズブランドであるラングラーとのコラボレーションモデルもリリースしていた。
- 1987年 - オリンピックのゴールドメダリストであるマーク・ゴルスキーをレーシングチームに迎え入れ、多数のレースで勝利を量産。また当時、宇宙工学の分野で新素材として注目されていたチタンで自転車のフレームを世に出した最初のメーカーの一つでもあり、同時に29インチオーバーサイズタイヤで高性能シティサイクルの開発にも早々と着手。
- 1996年11月 - かねてより関係の深かった株式会社東食に吸収合併。
- 1997年12月 - 東食が会社更生法の適用を申請し倒産。その後、東食は穀物商社のカーギル傘下で再建、自転車部門はアドバンス・スポーツ(Advanced Sports, Inc. )に引き継がれた。
- 1999年 - Fuji Team Issueを駆るThe Mercury Professional Cycling Teamがレースにおいて70以上の勝利を獲得。アメリカで最速のチームとなり、四年連続で『VeloNews誌』のteam of the yearを受賞。
- 2001年 - FUJIは経営方針を変更し、量販店から自転車専門販売店へと販売チャンネルをシフト。ヨーロッパのマーケティング・販売会社と契約することにより、取扱いを16カ国へ拡大。
- 2003年 - Diamondシリーズがフォーバーリンケージ・デュアルサスペンションを採用。
- 2003年 - Fuji Roubaixの女性モデルがBicycling Magazine誌の編集者賞を受賞。
- 2004年 - FUJI初のフルカーボンフレームでJudith Arndtがイタリア、ヴェローナにてワールドチャンピオンを獲得。
- 2005年 - 株式会社アキボウがFUJI日本総代理店として取扱い開始。
脚注
関連項目
外部リンク
- FUJI BIKES フジ自転車
- 株式会社アキボウ - FUJI 日本総代理店
- Fuji Bikes - アドバンス・スポーツ社
日米富士自転車
(FUJI_BIKES から転送)
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日米富士自転車株式会社 (Nichibei Fuji Cycle Co., Ltd.) は、かつて日本に存在した自転車メーカーである。本社は東京都町田市森野二丁目2番(1995年当時)。倒産後、海外企業に買収され、fujibikeの商標で米国投資会社タイガー・グループ傘下。
沿革

創業当初はアメリカ合衆国製品の輸入販売代理店で、のちに日本国内で自転車生産を始めた。太平洋戦争前後に社名を大日本自転車とし、のちに日米富士自転車へ改める。
- 1899年、岡崎久次郎が創業し、当初は電灯類などの米国商品の輸入販売を主とした。
- 1900年、日米商店の商号で創業する。
- 1901年、米国製レロイ自転車を発売する。
- 1903年、自転車、カメラを主要商品とする。1898年から数回海外視察を繰り返し、自転車メーカーのラージ社 (en:Rudge-Whitworth)、ホドソン社などと特約を結ぶ[1]。
- 1906年、イギリスのラーヂブランド自転車の輸入販売を開始する。
- 1916年、国産ラーヂ自転車生産のために大日本自転車株式会社設立する。のちに大日本機械工業となり、農機具部門は1972年に小松ゼノアとなる。
- 1919年、ケント号を発売する。
- 1928年、商標をラーヂから富士に改称する。
- 1931年、霸王号、宣伝号、ケント号、ホドソン号、ソープ号、スポーツ号、オニ号を販売する[2]
- 1935年、日本で初のスポーツ車となるフェザー号を発売する[3]。
- 1951年、日米富士自転車株式会社に社名変更する。
- 1950年代後半、アメリカ合衆国へ輸出を開始する。
- 1971年に富士アメリカ社 (Fuji America) を設立し、輸出台数を伸ばした。日本国内で電子フラッシャー付き少年向けスポーツ自転車を発売すると、国内同業他社は各種ギミックを付した男児向け自転車の開発競争した。ロードレーサーやランドナー、スポルティーフなどオンロード車を「Olympic」、MTBを「Mount Fuji」のブランドをそれぞれ冠し、ジーンズブランドのラングラーとコラボレーションモデルも発売した。
- 1996年11月に、従来より関係が深い株式会社東食に吸収合併されたが、1997年12月に東食は会社更生法適用を申請して倒産した。のちに東食は穀物商社のカーギル社 (Cargill Inc.) 傘下で再建し、自転車部門は米独台湾ペースのアドバンス・スポーツ社 (Advanced Sports, Inc.) が引き継いだ。アドバンス・スポーツ社は社名をフジ・アドバンススポーツとし、2006年7月現在でペンシルベニア州に本社を置き、Fujiブランドの自転車を販売している。
- 2019年2月に米国に本拠を置く投資会社タイガー・グループがアドバンススポーツを買収[4]した。
跡地
関連項目
- FUJI BIKES
- 岡崎勝男 - 創業者の弟で社長を務めた。元外務大臣。
- 杉原鏘一郎 - 当社社員。オリンピック自転車競技日本代表監督。
- 町田市民ホール - 本社に隣接したボウリング場「日米ボウル」を改修し、1978年(昭和53年)に開館した。
脚注
参考文献
- 渡邉, 喜久「自転車産業技術の変遷に関する一考察」『研究紀要』第5巻、東海学園大学、2000年3月31日、 57-80頁、 NAID 110000486918。
外部リンク
- Tiger Group(英語) - タイガー・グループ
- Fujibikes.com(英語) - アドバンス・スポーツ社
- 株式会社アキボウ - Fuji Bikesの日本総代理店
- 株式会社カーギルジャパン
- 明日の自転車店経営 (日米商店富士聯盟本部, 1934)
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