CART/インディカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:42 UTC 版)
「ロベルト・モレノ」の記事における「CART/インディカー」の解説
モレノは翌1996年より本格的にアメリカに活動拠点を移し、ペイトン・コインよりCARTへ参戦する。しかし翌1997年以降はなかなか安定したシートは得られず、専ら「スーパーサブ」として、ドライバーの怪我などでシートに空きの出たチームからレースに出走することが多くなり、1997年は3チーム、1998年は2チーム、1999年は2チームからスポット参戦していた。1998年はシーズン途中からペンスキーのテストドライバーを担当した。1999年は7戦欠場したにも関わらず総合ランキング14位に入った。 しかし2000年には久々にパトリック・レーシングよりレギュラー参戦を果たし、クリーブランドで優勝。2001年はバンクーバーで優勝を飾っている。ただその後は成績は低迷し、2003年シーズンを最後にチャンプカー(CARTより改称)から撤退した。 その後2005年よりアメリカのスポーツカーレースであるグラン・ダム・シリーズに参戦する一方、インディカー・シリーズに参戦するエド・カーペンターのコーチを務めていたが、2006年3月にホームステッド=マイアミ・スピードウェイで行われた開幕戦でカーペンターとポール・ダナが接触し、ダナが死亡、カーペンターが怪我を負ったことから、次戦では急遽モレノがカーペンターの代役として参戦することになった。急なスポット参戦だったが予選11位、決勝10位の結果を残す。 2007年以降はチャンプカーやインディ500にも代役で出走した。2008年は、チャンプカー・シリーズがインディカー・シリーズとの統合により消滅したことによる最後のレースとなった、ロングビーチ・グランプリにミナルディチームUSAから参戦した。
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