BCLブーム時代とは? わかりやすく解説

BCLブーム時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:38 UTC 版)

「FEBC」の記事における「BCLブーム時代」の解説

1970年代BCLブーム時には、FEBCの3系統日本語放送多く聴取者獲得していた。FEBC東京支社会員誌「わかぎ」を発行、その会員は「FEBC友の会メンバーとして登録されていて、メンバーカード発行されていた。会員ファン)の集い定期的に行っていた。当時人気DJは、兼松豊。性格的に厳格なキリスト教放送を行う中で、親しみ持てるキャラクター人気博した兼松出演する番組マニラ及びサンフランシスコから放送され、HLDA(当時)は専属パーソナリティ吉崎恵子務めた吉崎1970年日本FEBCに入職し、それ以来四半世紀以上も同局での放送伝道携わり、現在も番組出演している。2005年4月には日本FEBCの代表に就任した1980年頃には、大きく番組編成変わり青少年聴きやすい番組いくつか制作された。その中でも「FEBCそれゆけたったの30分!」は多く支持を受け、お便りも非常に多く寄せられた。小西達郎氏がメインパーソナリティーとして大人気となっていた。(この番組は、HLAZで放送されていた。) また、BCLマニアの間では、ベリカード受信確認証)がなかなか取得できない放送局一つとして知られていた。2日または1週間通して番組記録と共に感想添付したレポート送らないと、ベリカードでなく「受信記念カード」が発行された。このベリカードには、日本支社発行のものと、各放送局独自に発行するものと、2種類存在した。各放送局への直接レポート場合1回だけの聴取でもベリカード発行され取得が容易であった日本支社ベリカードはシリーズベリで、送信所がある済州島の自然シリーズ送信所シリーズ日本支社シリーズなどあり、ベリカード同時に受信報告結果表」が発行される。「受信報告結果表」にある「ベリカード ○-○発行しました。」の部分切り取り2日または1週間通して番組記録感想添付したレポートと「受信報告結果表」にある「ベリカード ○-○発行しました。」の部分一緒に送ると次のシリーズベリカードと同時に受信報告結果表」が発行されるシステムがあり、シリーズベリカードはI-1からVI-4まで20種類あった。(I~IVは3まで、VとVIは4まである。但し、1990年の時は、I-1~II-1のベリカード在庫無かったため、II-2からのスタートとなったまた、イースター復活祭)の時期になると「イースターベリ」が発行されることもあった。(発行基準は、シリーズベリと同じ) 宗教法人日本FEBCでは、1995年12月からベリカード発行中止されたが、FEBC-Koreaソウル局)では、HLAZの受信報告に対して引き続きベリカード(HLKXとHLAZの受信報告対すベリカードそれぞれ違った図柄)が発行されている。友情の声:KGEIの生放送時代金子耕弐アナらがお便りに対して独自の「ラブラブカード」を発行して人気博した

※この「BCLブーム時代」の解説は、「FEBC」の解説の一部です。
「BCLブーム時代」を含む「FEBC」の記事については、「FEBC」の概要を参照ください。

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