AOR路線から解散まで(1976年 - 1980年)
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大手ポリドール・レコード傘下のレーベル「Oyster」に移籍。10thアルバム『ディープ・カッツ』(1976年)11thアルバム『バーニング・フォー・ユー』(1977年)の2作を発表。再びメロトロン主軸の路線を復活させた。また、曲調は当時流行していたAOR系サウンドに接近するシングルカットを意識した曲が増え、モダンなポップスタイルとプログレッシブ・ロックが共存する状態となった。しかし、この頃からパンク/ニュー・ウェイヴのポップカルチャーが台頭して既存の音楽が終息に向かった時代であり、アルバムセールスの難しい時期が続いた。 1977年、大手レーベル「アリスタ・レコード」に移り、12thアルバム『デッドラインズ』をリリース。出世アルバムからドラムを担当していたロッド・クームズが脱退。プログレッシブ・ロックの影響は薄れ、シングルヒット狙いの曲が多くなったが、このアルバムも販売不振を喫する。だがバンドは意欲的に次作のアルバム『Heartbreak Hill』の制作を進め録音も終わっていたが、バンドの中核であるデイヴ・ランバートがカズンズと衝突し脱退。また、アリスタ・レコードからも契約を解消されてしまい、作品はお蔵入りとなる。 迎えた1980年、今度はバンドリーダーのデイヴ・カズンズが脱退してしまい、ストローブスは解散した。
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