7世紀の逸話
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614年、サーサーン朝ペルシアのホスロー2世によってシリア、パレスティナが征服された際、聖十字架は持ち去られた。これに対し東ローマ帝国の皇帝イラクリイ(古典ギリシャ語再建音ではヘラクレイオス、中世ギリシャ語ではイラクリオス)は622年から628年にわたってサーサーン朝に親征を行い、首都クテシフォンにまで侵攻して勝利を収め、聖十字架およびその他のエルサレムの宝物を奪還した。 皇帝はエルサレムに宝物を返納に赴き、総主教ザハリヤは衆民を率いてエレオン山の麓に皇帝を出迎えた。 この時皇帝は金銀宝石で飾った衣を着、帝冠を戴いてエルサレムに入ろうとしていた。皇帝自ら十字架を肩に荷い、まさにゴルゴファに至る城門に入ろうした時、十字架が神の力によって止められ進む事が出来なくなった。人々にはその理由が分からず大変驚いた。 この時ザハリヤは雷のように輝く天使が城門に立つのを見た。天使を目撃したのは総主教ザハリヤのみであった。「我らの主は今、貴方達の持って来たようにしてこの十字架をここに持っては来ませんでした。」と天使は言ったという。総主教ザハリヤは皇帝に対し、「陛下、我々のために貧困に甘んじ苦難を受けられた救主が、謙遜に己れが肩に負われた十字架は、華やかで美しい衣を着て負うものではありません。」と言った。皇帝がこれを聞いて直ちに美衣帝冠を脱いで粗服を着、冠をはずして裸足となって十字架を背負うと、障害なく十字架を聖堂に運ぶ事が出来た。 総主教は元通りに聖十字架を聖堂内に安置し、人々は「主憐れめよ」と連呼した。 この逸話は、「主の仁愛はただ謙遜によって得られる事」「私たちが何事かを成すためには、まず光栄を主に帰し、自ら誇ってはならない事」を教えるものとして正教会に伝えられている。 7世紀のこの出来事をきっかけとし、それまで殆どエルサレムでのみ祝われていた十字架挙栄祭は帝国全土で祝われるようになった。
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