7世紀の逸話とは? わかりやすく解説

7世紀の逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 16:31 UTC 版)

十字架挙栄祭」の記事における「7世紀の逸話」の解説

614年サーサーン朝ペルシアホスロー2世によってシリアパレスティナ征服された際、聖十字架持ち去られた。これに対し東ローマ帝国皇帝イラクリイ(古典ギリシャ語再建音ではヘラクレイオス中世ギリシャ語ではイラクリオス)は622年から628年わたってサーサーン朝親征行い首都クテシフォンにまで侵攻し勝利を収め聖十字架およびその他のエルサレム宝物奪還した皇帝エルサレム宝物返納に赴き、総主教ザハリヤは衆民を率いてエレオン山の麓に皇帝出迎えた。 この時皇帝金銀宝石飾った衣を着、帝冠戴いてエルサレム入ろうとしていた。皇帝自ら十字架を肩に荷い、まさにゴルゴファに至る城門入ろうした時、十字架神の力によって止められ進む事が出来なくなった人々にはその理由分からず大変驚いた。 この時ザハリヤのように輝く天使城門に立つのを見た天使目撃したのは総主教ザハリヤのみであった。「我らの主は今、貴方達持ってたようにしてこの十字架をここに持っては来ませんでした。」と天使言ったという。総主教ザハリヤ皇帝対し、「陛下、我々のために貧困に甘んじ苦難受けられた救主が、謙遜に己れが肩に負われた十字架は、華やか美しい衣を着て負うものではありません。」と言った皇帝がこれを聞いて直ち美衣帝冠脱いで粗服を着、冠をはずして裸足となって十字架を背負うと、障害なく十字架聖堂に運ぶ事が出来た総主教元通り聖十字架聖堂内に安置し人々は「主憐れめよ」と連呼した。 この逸話は、「主の仁愛はただ謙遜によって得られる事」「私たち何事かを成すためには、まず光栄を主に帰し、自ら誇ってならない事」を教えるものとして正教会伝えられている。 7世紀のこの出来事きっかけとし、それまで殆どエルサレムでのみ祝われていた十字架挙栄祭帝国全土祝われるようになった

※この「7世紀の逸話」の解説は、「十字架挙栄祭」の解説の一部です。
「7世紀の逸話」を含む「十字架挙栄祭」の記事については、「十字架挙栄祭」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「7世紀の逸話」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「7世紀の逸話」の関連用語

7世紀の逸話のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



7世紀の逸話のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの十字架挙栄祭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS