55年体制の終焉とは? わかりやすく解説

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55年体制の終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:43 UTC 版)

二大政党制」の記事における「55年体制の終焉」の解説

平成初期1993年平成5年)の衆議院総選挙において、自民党分裂して過半数割り込み、さらに社会党議席減らした。 そこで、自民党から分離独立した新生党新党さきがけが、社会党および公明党日本新党民社党社会民主連合民主改革連合といった小政党らと手を組んで多数派となり、合計8つもの政党から構成される非自民党・非共産党連立政権細川内閣)が誕生した。 これにより自民党1955年結党して以来初め野党転落し、また社会党初め与党(の一部になった。ここに55年体制崩壊した。 しかし8党連立政権はわずか10ヶ月崩壊し、翌1994年には自民党社会党新党さきがけの3党による自社さ連立政権首相社会党村山富市、のちに自民党橋本龍太郎)が発足した自民党長年政敵であった社会党手を結ぶことで政権復帰した格好であり、大連立ともよべる状況であった自社さ連立政権1998年まで続いた。 なお、1994年から1997年にかけては、かつての8党連立政権のうち野党転落した新生党公明党一部民社党日本新党自由改革連合などが結集して新進党成立し社会党代わる第二党となっていたが、政権交代には至らないまま解党した。

※この「55年体制の終焉」の解説は、「二大政党制」の解説の一部です。
「55年体制の終焉」を含む「二大政党制」の記事については、「二大政党制」の概要を参照ください。

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