55年体制の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 19:57 UTC 版)
「東京佐川急便事件」の記事における「55年体制の崩壊」の解説
1993年6月18日、宮沢内閣は、社会党・公明党・民社党・社会民主連合から不信任案を提出された。羽田派を中心とする小沢一郎・羽田孜・渡部恒三、奥田敬和、石井一、藤井裕久、熊谷弘ら自民党議員39名が賛成し、不信任案が255対220で可決。宮沢内閣は、日本国憲法第7条第3号により衆議院を解散、第40回衆議院議員総選挙が行われることになった。1993年6月21日、ユートピア政治研究会に参加していた武村正義、鳩山由紀夫、田中秀征が、自民党を離党。政治改革などを掲げ、新党さきがけを結党した。1993年6月23日、羽田孜と小沢一郎は、「政界再編」「政治改革」を呼号し、新生党を結成。小沢一郎が、代表幹事に就任した。この動きに対し、官房長官の河野洋平は、夕方の定例記者会見で「政治不信を招いたのは離党した人達ではないのか」と厳しく批判。清和会の幹部からも、批判する声が上がった。ジャーナリストの立花隆は、小沢一郎が「政治改革」を掲げ、新生党を結成したことを、1993年6月24日付の『朝日新聞』朝刊で「ちゃんちゃらおかしい」と酷評した。
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